彼女を見たときの最初の印象は、渋谷に普通にいそう、というものでした。
ていうか、おんなじ様なメイクの人みたことある。
でも、女性の意見では彼女の胸の谷間はすごいそうです。
ひとそれぞれみるところが違うものだと思います。
日本では多くのヨガがあり、それを指導する人や団体、そして流派があります。
これは、ヨガに対して多くの人が何かを思い、求め、そして、提供する人がいるという事実を物語っています。
そして、多くの場合、ヨガに対して求められるのは身体的な健康となっています。
もちろん、ストレスが解消されるということも事実です。
運動不足の人が適度なエクササイズをすることで身体的な機能が向上して、血行の促進や体のゆがみが取れ、内臓の働きも活発になるのは明らかのことです。
だから多くの人がヨガを手軽なエクササイズとして取り入れているのでしょう。
しかし、ヨガというのは本来体を動かすエクササイズではなく、心の働きを停止させるための修行体系です。
現在、体の動かし方ばかりがもてはやされていて忘れられがちな本来の目的。
でも、体の動きに比べると目に見えるわけでもその効果を事前に知ることもできません。
多くのCMで流されたように私たちの認識では「心は見えない」ものなので、美しい肉体やポーズに比べるとわかりにくいものとしか言いようがないのは、当然のことでしょう。
わからないこと、それが心を表現する最も適切な言葉なのかもしれません。
いいや、心理学や心理テストがあるという人もいらっしゃるでしょうが、あれは大体今ナニを思っているとか、無意識に何かを思っているというデーターを知るのには、確かに役立つでしょう。
でも、それは心を知っているというより、心に書いているいろいろな言葉を知るというレベルで、心自体がわかっていないということです。
つまり、本で言えばそこに書いてある文章は読めるけれど、その文章が印刷されている紙が一体何かわからないということです。
特に、トラウマというものは、この心の紙がぐしゃぐしゃになっている状態なので、それを伸ばすような作業が必要なのですが、その素材がわからなければ伸ばすこともできないのです。
それどころか、それに手を伸ばすこともできないでしょう、見えないのですから。
ヨガの心理的なテクニックが多くの人にとって必要とされないのは、心は見えないという決め付けによるものです。
見えないものはどうしようもない。
だから、見ようとはしない。
当然といえば当然ですが、これには大きな見解の誤りがあります。
心は見るものではないのです。
それは、紅茶の味を触るだけで理解しようとするものや、毛布の柔らかさをにおいだけで判断するようなもの、オーケストラのすばらしさを味覚で判断しようとするようなもの。
つまり、最初のアプローチから、もうすでに間違っているのです。
ヨガの段階的な訓練方法の優れている点は、心という知覚器官を使っては把握できないものをどうやって感じ取り、その深くへ到達し、瞑想という領域へたどり着くのか、あいまいに片付けられがちの心の領域への適切な訓練とレシピがそろっていることです。
そして、それは特にグルといわれる人々に服従しなくても、その気になれば誰でも獲得できる簡単な方法があるのです。
正直、心の問題でずっと苦しむのに比べたら、それを学んでひびの生活で実際に使い続けることのほうがはるかに生きる事が楽になるでしょう。
でも、誰もそのような情報に出会う機会もないし、それはここに存在するのに誰も手に取ろうとはしません。
心に対する偏見が満ち溢れている今の社会では当然のことでしょう。
しかし、まれにごく少数の人が心の問題を解決するために、正しいアプローチに出会います。
そのような人が存在し、そしてココにあるものをつかむことは、地上における本当の奇跡なのかもしれません。