新春特別企画・対談第2弾!
《第2回 宮里政充先生・大場久美子さん 対談》
☆記者・有賀久美子(実施日:H22.12.18)
【2010年『ウンジュよ』朗読公演を振返って】
大場:よろしくお願いします。
宮里:こちらこそ。
大場:10月の『ウンジュよ』公演を終わっての感想をお願いします。
宮里:大場さんの朗読を聞くのは初めてのことだったし、効果音や照明や映像などを取り入れるというお考えでしたから、正直なところ、不安半分期待半分というところでしたね。
で、結果としては良かったのではないかと思います。友人などに感想を聞いたところでは、多少の戸惑いはあったようですが、いい評価をしていましたよ。ああいう演出もあり、というところかな。だから大場さんは朗読の新しいスタイルを生み出したと言っていいと思います。
大場:それはうれしいですね。そこで、具体的に細かいところで印象に残ったところとかを振り返ってみてどうですか。
宮里:たとえば、効果音と朗読の声がかぶさってしまってよく聞き取れなかったなどというところはあるけれども、今度の演出からいえば、そういうことはそれほど大きな問題ではないと思います。ぼくは結局5回の公演を観たわけですが、5回とも新鮮な思いで飽きなかったですよ。
大場:第1回の対談をした時の感想で、変わってきたものがありますか。
宮里:うーん。感想が変わるというよりも、大場さんがこれから新しいスタイルを模索するきっかけにしていけばいいのではないかと思うのです。たとえば、効果音や照明などをどのように取り入れるのか、演技はどの程度までならいいのか、ということなどですね。ぼくはシアターイワトという空間ではあの演出は成功したと思います。しかし、違う空間でも成功するかどうか。これからはおそらくいろいろな場所で朗読なさるでしょうから、それぞれの環境に応じた演出を考えるというのもおもしろいんじゃないかな。その場合、シアターイワトでの経験が重要になりますね。
大場:反省点はたくさんあるんですが、先ほど先生が言われた効果音と朗読の声がかぶさるとか、効果音や照明のタイミングとか、小道具の位置とか、5回の公演がすべて終わって、録画したものを見てから気づいたことがあります。それらを、これからのステップに生かしていきたいと思います。
宮里:うん、うん、それがいい。
大場:実はこんな体験をしたんです。たしか三日目の昼の部の公演の時だったんですけど、あ、今音響さんと心がひとつになったなと感じた瞬間があったんですよ。客席の後ろにいる音響さんと舞台で読んでいる私の心がひとつになった。それで、公演が終わった後でそのことを音響さんに話したんです。すると音響さんも「実はぼくもそこでそれを感じていた、とおっしゃったんですね。とてもうれしい瞬間でした。そうやって回を重ねるごとに成長していくんだなって……。
宮里:うん。だから大場さんだけではなくて、スタッフ全員が進化していく、ということなんじゃないかなあ。
大場:裏方のボランティアの皆さんも活躍してくれて、凄い感動ものでしたね。
宮里:有賀さんはじめ、一生懸命でしたね。
大場:第2部の出演者の皆さんと心が一緒になれたというのも、感動的でした。親子ぐらい年齢が離れている若い方たちと一丸となってね。それから、先生ね、楽屋は1階が私で2階が出演者と分けたんですね。出演者のブログを見て分かったんですが、2階で休むというよりも一生懸命勉強しながら努力していたんですね。そのことが後で分かって、私がやりたかったこと、『ウンジュよ』と出会い先生と出会って、何かを伝えたいと願っていたことがある意味で成功したなと思ったんですね。2部の手紙を読むシーンでは、今までお父さんやお母さんに言えなかった「ありがとう」の言葉が言えるようになって、田舎から出てきた両親と川の字になって寝たんですということとか、私の楽屋へ報告に来てくれるんですよね。親子の会話ができるようになったんですとか、ロビーで親子で抱き合って泣いている姿などを見ていると、ああ、この公演をやってよかったなあって思うんですよね。イワトでの目標は達成できたかなあと。いろんな意味で。
宮里:大場さんが伝えたかったメッセージは観客に対してだけではなく、出演者やスタッフ、そしてボランティアの皆さんに浸透していったということでしょう。それは実りある成果ですよ。ぼくも出演者のブログをちょくちょくのぞいたんですが、出演できた喜びや感動がよく伝わってきました。
大場:全体を振り返ってみて、先生のご感想はいかがですか。
宮里:ぼくは公演前日から千秋楽までずっと舞台と楽屋を行ったり来たりしていて、まあ早い話が単にウロチョロしていただけなんだけど、今大場さんがお話ししたことをぼくも直に感じていました。座長・大場久美子を中心に感動が渦巻いている、という感じかな。それから、取材に来ていた新聞記者の方は「私は何十年も記者の仕事をしていますが、自分にもまだ人間の心が残っていたんだと分かりましたよ」とウルウルしながら言ってました。「若い人たちにもぜひ見てもらいたい」と熱っぽく語ってくれた方もいましたね。
大場:『ウンジュよ』のブログを立ち上げたら、アクセス数がどんどん増えました。(笑)
宮里:そうそう。ぼくも毎日開いて見ていましたよ。一番多い時で一日1050ぐらいありましたね。
大場:すごいですね。最近でも毎日アクセスしてくる方たちがいて、更新を楽しみにしていますって言ってくださいます。確実に『ウンジュよ』の輪は広がっていますね。
宮里:うれしいですね。
【新しい動き】
大場:ブログを見てくださった監督さんが、ぜひ『ウンジュよ』を自分の地元で公演したい、ついては劇場や会館もあるけど、野外はどうかというお話をいただいているんです。そのほかにもいくつか候補はあげていただいているのですが、それは来年の夏に実現しそうです。それから会津若松市の酒蔵の2階を見つけたんですけど、そこは消防法に引っかかるということで駄目でした。そこで別の酒蔵で素敵な所があって、これは6月ごろでどうかと、今話を進めているところです。
宮里:酒蔵というのはいいなあ。
大場:学校の先生をしている友達がいて、ぜひ子どもたちに『ウンジュよ』の公演を見せたいとか、どうすれば自分たちの地元に来てもらえるのかという問い合わせが結構来てまして、シアターイワトに来ていただいた方たちの感動の輪が広がっています。
宮里:どんどん広がるといいですね。
【語り部として】
大場:話が戻りますが、第1回の対談から数カ月が経っていますが、公演の前に対談した時と公演が終わった現在とで、先生はどうお気持ちが変わられたかお聞きしたいんですが。もう少し詳しくお話しいただけますか。
宮里:シアターイワト・バージョン以外の演出も見てみたいですね。先ほど野外での公演や酒蔵での公演の話があったけど、その場所に応じた演出をすることで『ウンジュよ』がどういう顔を見せるかというのは、書き手としての一番の楽しみなんです。大場さんは多分これからも演出を兼ねるという方法を採るでしょうから、大場さんにしかできない演出と朗読を生み出しながら大場さんと『ウンジュよ』が進化していくわけで、第1回目の対談の時に比べてぼくの楽しみが増えたというところかな。
大場:今回は、朗読に関心のある方ない方、劇場に足を運んだことがあるかたない方など、いろんな層のお客様を想定した演出方法を採ったんですね。ところが、野外となると、例えば歌謡ショーでもお客さんの集中力を持続させるというのは大変なんですね。それが朗読となると一体どんな演出をすればいいのか、まだ思案している最中なんです。野外と決まったら多分七転八倒すると思います。ただね、これからは演出らしい演出をしない朗読もやってみたいんです。それはお客さんが少人数で場所を選ばない。5人か6人。30人は多いかな。私が全国各地、どこへでも出かけて行って少人数でもほんとに聞きたい人たちに語るという活動もやってみたいんです。演出をきちんとやって一度に大勢の人たちに語るという企画とは違って、私が大場個人、役者として、細々と地道な方法で続けていくやり方も模索したいなと、シアターイワト以後、私が考えていることです。
宮里:今ちょっとイメージしてみたんだけど、たとえばどこかのいなかの囲炉裏端とか、南の島の海辺とかね。まあ、語り部ですね。
大場:私としては大勢の方々に語るパターンと、少人数の方々に語るという二つのパターンでやっていきたいですね。
宮里:語り部大場久美子の誕生だな。
大場:私ね、先生。イワトで5公演やっているうちに、だいぶ頭の中に『ウンジュよ』が入っちゃったんですね。(笑)作品全部を暗記するのはこの年になって至難の業だと思っていたんですが、ふと、数日前に仕事部屋でしゃべり始めたら、スラスラと口から出てくるんですね。暗記しようと思ってやってきたわけではないので、ところどころ飛んだりはするんですけど。これは自分でも驚きで、ああこれは囲炉裏端で語るのもいけそうだなと。
自慢話ですけど。(笑)
宮里:うんうん。
大場:作品の文字を追っている時はいろいろ雑念がわいてきたりするんですけど、文字が目から離れて自分の中に入り込んだ瞬間に作品の世界が広がって進化していく感じですね。
宮里:例えば民話なんかは、語る人によっても語る地方によってもそれぞれバリエーションがあるわけですね。ぼくの理想は『ウンジュよ』が民話のように語り継がれることです。いろんな人がいろんな場所でいろんな人に語り継いでいく。そしていつかこの話はどこの誰が書いたのか分からなくなる。これがぼくの夢です。
大場:今回『ウンジュよ』の小冊子ができてたくさんの方がお読みになっているので、いろんな方が自分も朗読したいと言ってくるんじゃないかと思います。ところで、この作品がこれから膨らんでもっと長い作品になるということはあるんでしょうか。
宮里:うーん。今考えているのは、一人芝居バージョンですね。
有賀:それは今度の大場さんの舞台をご覧になったことがきっかけなった、ということはあるんですか。
宮里:それもありますね。作品が出来上がりましたらよろしく。
大場:わあ、楽しみにしています。
第1弾 作家宮里先生・女優大場久美子さん対談!
《第1回 宮里政充先生・大場久美子さん 対談》
☆記者・有賀久美子(実施日:H22.7.2)
【作品を書くきっかけは?】
大場:本日はお忙しい中、ありがとうございます。よろしくお
願いします。
宮里:こちらこそよろしくお願いします。
大場:さっそくですが、先生が『ウンジュよ』をお書きになった
きっかけを教えてください。
宮里:基本的には、ぼくが沖縄出身で、ぼくなりの戦争体験
があったということがベースになっていると思います。
それと、沖縄戦に関するいくつかの記録などの書物
に触発されたこともありますが、より直接的なきっか
けは、ある書物の中に、カミソリで首を切った女性の
後ろ姿の写真を見たことです。
大場:カミソリで……。
宮里:ええ。「集団自決」の時にね。ショックでした。
大場:生々しいですね。
宮里:だから、ぼくはまず、体にも心にも傷を負いながら生き
ているある女性のですね、数十年にわたる苦しみとい
うものに心を奪われたのです。そして、彼女と同じよ
うな苦しみを背負って生きている人たちが大勢いる、
ということに思い至りました。これは書かなくちゃいけ
ないなと、その時思いましたね。彼女の苦しみを描き
切ることで戦争というものの理不尽さを訴えたいと。
大場:わかります。何度も何度も読み返してみて、この作品
に込めた先生の思いがよく伝わってきます。
宮里:それはうれしいですね。
大場:私、この作品に初めて触れた時、これはノンフィクショ
ンなのかな、と思ったのですが、先生の今のお話をう
かがうと……。
宮里:ええ、これはフィクションです。もっと正確に言えば、事
実に基づいたフィクション。米軍の作戦行動とその日
時や「集団自決」の現場はできる限り記録に沿うよう
に心がけました。しかし、母親や少年などの登場人物
はフィクションです。たとえば、少年はぼくの息子のイ
メージ。
大場:そうなんですか。
宮里:母親が米軍の仮設病院で意識を取り戻して、最初に
眺めた合歓(ねむ)の木ね。
大場:ええ。合歓の大木。
宮里:あれはぼくの小学校の校庭。あ、それから、親子で北
山(にしやま)へ向かう時、少年が右手に鍋を持って
いますが、あれは山を逃げ回った時のぼく自身。照明
弾に照らされて木陰に身を潜めているのもぼく自身。
大場:なるほど。そうしますと、先生が生まれ育ったの
は……。
宮里:沖縄本島北部の今帰仁村(なきじんそん)の、越地(こ
えち)という小さな村です。東シナ海に面しています。
本島北部の場合、米軍の爆撃や日本軍との地上戦
は南部ほどひどくはなかったと思います。
大場:でも、必死に山の中を逃げ回った。
宮里:ええ。
大場:沖縄戦がおいくつの時ですか。
宮里:5歳です。
大場:小さな子供ながらに何か残っているものってあります
か。戦争の体験を通して。
宮里:うーん。それはやっぱり原体験として今でも引きずって
いるということかなあ。山の中を逃げ回ったり、洞穴で
ガイコツと一緒に暮らしたりしたことが、ぼくのものの
見方や考え方に少なからず影響していると思います。
大場:わぁ、ガイコツと一緒に暮らしたんですか。
宮里:ええ。ぼくたち家族が隠れていた洞穴には白骨化した
遺体が、多分、3体はありました。その遺体はおそらく
昔の風葬の名残であったと思います。ただ、あれは島
津軍の戦死者だという言い伝えも村に残っています。
大場:島津軍、ですか。
宮里:ええ。1609年に島津軍は軍隊を持たない沖縄に、軍3
000人で押し寄せてきたんです。琉球王朝は手もなく
やっつけられて、以後、島津の支配下に入り、琉球王
朝は経済的に苦しい状況に置かれることになります。
でも、今日はそういう歴史の話がメインではないから、
これ以上の話はやめておきましょう。
大場:では、またの機会ということで。
宮里:そうですね。島津の侵攻、廃藩置県、第二次大戦、祖
国復帰などは現在につながる沖縄の歴史にとって重
要なポイントですから、いずれお話したいですね。
【書いた時期は?】
大場:『ウンジュよ』の背景には、先生の原体験としての戦
争体験がある、ということはよくわかりました。ところ
で、この作品はいつごろ書かれたものですか。
宮里:実はこの対談のために、調べなおしてみました。現在
の形の『ウンジュよ』は2001年に書いて、2002年発行
の文芸雑誌『たね』に掲載しました。ただし、その前に
1981年発行の『たね』にその原型となるものを発表し
ています。
大場:つまり、書きなおされたのですね。
宮里:そうです。
大場:たとえばどんなところを?
宮里:沖縄の方言が何箇所かあったのを、「ウンジュ」だけ
にしました。
大場:どういう意図でそうなさったのですか。
宮里:「ウンジュ」という言葉をより際立たせるためです。そ
れから説明的と思われる部分をできるだけカットした。
大場:ああ、そのおかげで私が苦労する。(笑)
宮里:どうもすみません。(笑)
大場:そうしますと、先ほどお話しにあった、カミソリで切って
しまった女性の写真をご覧になったりなさったのは、1
981年よりも前ということになりますね。
宮里:そうです。そういうものに接してから『ウンジュよ』を書
き出すまでにしばらく期間がありました。テーマがテー
マだけに、とても思いつきで書けるものではありませ
んからね。
大場:熟成期間が必要だった、ということですね。
宮里:ええ。
【葛藤を超えて】
大場:「語り」の形を採られたのには、どういう意図があった
のですか。
宮里:そうですね。もちろん普通の黙読でもいいのですが、
愛するわが子を手にかけ、声まで失ってしまった母親
の苦悩は、やはり肉声として聞く方が最もふさわしい
と考えました。まあ、ためしに、黙読した時と朗読し
た時の感じを比べてみるとよく分かると思います。ど
なたでもね。
大場:先生は、肉声として聞く方がふさわしいと思われたの
ですね。
ところで、この作品を書きながら先生の中で葛藤とか
はなかったですか。
宮里:葛藤ですか。
大場:書いている途中で苦労なさったことでもいいのです
が。
宮里:うーん……。それはやっぱり、果たして自分が母親の
苦悩を描き切ることができるだろうかということです
ね。ぼくは「集団自決」の現場にはいなかったんだし、
子どもを産んだことがあるわけでもないですからね。
それに、もうひとつの問題は、現在も「集団自決」の現
場におられた方々が苦悩を抱えて生きていらっしゃ
る。それはぼくなどの想像をはるかに超えた苦難の
道であったと思います。ぼくはね、たとえばこの自
分が自分の息子に手をかけることを想像するだけで
も、まともな気持ちではいられないですよ。身の置
き所のない苦しみです。癒えることのない苦しみで
す。その苦しみを現実に生きていらっしゃる方々に対
して、ぼくはただ黙って頭を下げるしかない。部外者
であるそのお前が、その方々の苦しみの万分の一も
理解できないお前が、一体何を書こうというのかとい
う自問。まあ、これが一番の葛藤でした。
大場:でも、書かずにはいられなかった。
宮里:そうです。『ウンジュよ』を最初に書いてからおよそ30
年経ちますが、その間、世界中でどれだけの戦争が
あり、特に女性や子供たちを犠牲にしてきたか、そし
て癒されることのない苦悩を強いてきたか。そういうこ
とを考えただけでも、ぼくはこの作品を書いた意義が
あると思っています。ぼくはこの作品を、戦争の犠牲
になった人たちへの同情で書いたのではありません。
理不尽な力によっていわれのない苦しみを強いる存
在に対する「ノン!」のメッセージとして書いたつもりで
す。
理不尽な力というのは権力者だけとは限らないと思
うのです。それは私たちの日常生活の中にもありま
す。ですから、『ウンジュよ』は、戦争という特殊な状況
下で起こった特殊な出来事だから、自分には関係な
いというわけにはいかないと、ぼくは思います。時に
は「ノン!」の対象が自分自身であるかもしれないの
ですから。
大場:ええ。本当にその通りだと思います。戦争の体験者で
もなく沖縄の出身でもない私がこの作品を語る時の接
点は、いま先生がおっしゃった、戦争と日常生活の二
つの面のうち、むしろ日常生活の方に重きがあるの
かもしれません。平和に暮らすことや命を大切にする
という普遍的な問題の方が私には分かりやすいので
す。
宮里:そうでしょうね。それでいいと思いますよ。ぼくはこ
の作品を政治的なプロパガンダとして書いたわけじゃ
ないですから、大場さんは大場さんの視点で語れば
いい。
大場:その言葉を聞いて安心しました。しっかりやります。
【傷が癒えることはない】
大場:話題は変わりますが、「集団自決」の現場におられた
方々は、ご夫婦の間でさえ話題にしないで、自分の心
の中に閉じ込めながら生きてこられたわけですね。で
も、ドキュメンタリーの映像などを見ますと、その方々
がお元気で生きておられて、とても穏やかな表情でイ
ンタビューに応じておられるのを拝見したりしますと、
ほっとしたり、すごいなあと思ったりするのですが、そ
の生きる底力というのはどこから来るんでしょうね。
宮里:生きなければならないからでしょう。生きるには力が要
ります。過去を乗り越える力がなければ、つぶれてし
まう。ベトナム戦争やイラク戦争で戦った兵士たちの
中には、戦争体験がトラウマとして残ってしまった人
たちが多くいます。個人によって違うのでしょうが、乗
り越える方法の基本には生きようという意志が働いて
いるのではないかと、ぼくは思うんですが。でもね、忘
れたわけでは決してないと思いますよ。だから、話が
核心に触れる段階になると平常心ではいられなくなり
ます。やはり苦しいのです。語ることがね。
【話題を舞台に】
大場:それでは舞台のことに話題を変えたいと思います。
私、『ウンジュよ』を朗読しようと決めてから、先生にい
ろいろ質問させていただきました。
宮里:ええ。
大場:練習していると、いろんな疑問が湧いてきて、作家の
先生はどんな気持ちで書いたんだろうって、私は考え
るんですよ。なるべく作家の先生の気持ちをいろいろ
聞いたり、いろんな資料を見たりしたうえで、自分はど
うして行こうかを考えるんです。たとえば、全然朗読に
関係ないのだけれども、少年が手にぶら下げている
鍋って、どんな形だろうかとか。
宮里:うん、うん。(笑)
大場:戦闘機の音なんかもグラマンとB29は違うとか、グラ
マンは凄い不気味な音だったとか、偵察機がグーンと
近づいてくるとかね。そういうことを今できるだけ聞い
て参考にしたい。でも、グラマンの音は見つからなく
て、結局加工して不気味にプロペラが回っている状況
を作ってみたりしています。それから、雨も大雨だった
のか、しとしとだったのかとかね。とにかく本番までに
いろんなことを伺いたいと思っています。
宮里:そうね。効果音を使うからには、リアルでないといけな
いからね。
大場:先生は『ウンジュよ』が朗読されるにあたって、ステー
ジ上で表現されることに対して、音とか映像とか、頭
に浮かんでいましたか。
宮里:それはあります。たとえば、蝋燭一本の明かりの中で
ぼそぼそと読むとか、かつてのアングラ劇場のような
ところで読むとか。東北弁や関西弁や沖縄の方言な
どで読む舞台も見てみたいなあ。
大場:それもいいですね。
宮里:書き手はね、ことばが武器ですから、言葉だけでも観
客に伝わるように書くというのが目標なんです。
大場:私は少しルール違反をしていると思います。朗読とは
こういうものだという、みなさんの常識を破りすぎてい
るかもしれない。だから、そこが心配なんですけれ
ど…。(笑)効果音にしてもBGMにしても、私は映像的
に構成してしまったので……。
宮里:それは何かお考えがあったからでしょう?
大場:朗読の基本があるとしたら私は経験がないので、よく
分からない部分があります。どうしても朗読しながら演
じたくなっちゃう。芝居のように感情を入れたくなるん
です。朗読だとそういうことはいけないんだろうなと思
って、どの程度感情を入れてよいのか、そのレベルを
本番までにリサーチしなきゃと思っています。効果音を
入れて朗読したテープを作りましたが、それは照明さ
んや音響さん用に、タイミングを覚えてもらうために作
ったものなのです。聞いてみると、芝居のようでもあり
朗読のようでもあり(笑)やり甲斐のあるテーマです
ね。
記者:朗読って今まで聞いたことがないんですが、感情移入
してはいけないんですか。
大場:うーん、芝居とは違いますね。
記者:朗読と一人芝居の違いということでしょうか。
大場:ええ。同じ一つのセリフでも、静止して朗読として読ん
でいるのと、こうして手を動かして芝居的に読むので
は違うわけで、感じが違ってきちゃう感覚があるんで
す。たとえば、「私はもう年をとりました。骨と皮ばかり
になりました。何かこう世の中が…」とセリフを読みま
すが、これを芝居風に話しをすとなると、「私はもう年
をとりました。骨と皮ばかりになりました。何か…(考え
るしぐさ)……こう…(思いつめるように)……」という
表現になります。
記者:ええ。
大場:これが芝居なんです。私はどうしても言葉に表情を入
れたくなってしまう。(笑)
…今回はすべてが型破りで、それも小屋(劇場)をイメ
ージしているから…。
記者:劇場のイメージですか。
大場:ええ。多分、普通のステージで、照明がポンと当たっ
て、椅子があるだけの所だったら、普通に読むと思い
ますが、今回は、防空壕の中のイメージで会場を選び
ました。それは、観客の方々に、母親が体験したこと
にできるだけ近い形で体験してもらいたいという気持
ちがあったからです。肌で感じてほしいと、思いまし
た。そういうことを考えていくと、効果音や照明が浮か
んでくるわけです。それがどんどん増えてきてしまっ
て…。(笑)
宮里:うん、それは語り手の個性でね、それでいいと思いま
すよ。これまでも数人の方に読んでもらってます。
大場:先生はいろんな方に読んでもらいたいのですよね。
宮里:ええ。
大場:みなさんそれぞれ違っていましたか。
宮里:ええ、でも作品を静かに読むという点では同じです
ね。
大場:では、私がこれからやろうとしている、効果音や照明
や映像を使っての舞台は?
宮里:初めてです。だからまだイメージがわかないけれど
も、そこが大場さんの大場久美子たるゆえんでしょう
から、それを大切にしたいですね。
大場:私がこの作品を朗読したいとお願いした時はどんなお
気持ちでしたか。
宮里:ぼくは基本的には朗読する人物を選びませんが、あ
の『コメットさん』の大場久美子が『ウンジュよ』を?っ
ていう感じはありましたね。なかなか結びつかない。
(笑)でも、そこがまた面白いんじゃないかなと。戦争
や人間の苦悩を語る専門家っていうのもおかしいでし
ょ。
記者:コメットさん時代からのファンにとっては、戦争とか「集
団自決」とかの言葉を見ただけで、どうして?と思うか
もしれませんね。でも、大場さんが『コメットさん』のイメ
ージをどんなふうに飛び越えるかと期待している方も
多いと思いますよ。
大場:でも、私としては、これからやっと役者としてのスタート
だと思っているので、これから私がやろうとしているこ
とを見守ってほしいと思います。
記者:今の大場さんにとって、『コメットさん』はどんな存在で
すか?
大場:私の歴史で、その時代があったからこそ今があると思
っています。10代、20代、30代、そしての40代の経験
があったからこそ、いま、50代の自分があるように、
『コメットさん』の時代があったからこそ、いま、役者と
しての自分があると思います。
記者:では、『ウンジュよ』に最初出会ったときに感じたこと
は?
大場:途中まで読むんですけど、最後までは読めなくて……
読んでは、仏壇の母の写真の前において(笑)また読
んで……最後まで読めたのはかなり後になってからで
す。
記者:苦しくなってしまったのですか?
大場:苦しいというより、なんだろう……。沖縄戦のこととか
「集団自決」のこととかを勉強し始めたら、先ほど先生
が仰っていた、身の置き所のない癒えることのない苦
しみを体験なされた方々のことが、脳裏に浮かんでき
て……。私にとっては『ウンジュよ』はフィクションでは
なくて、ノンフィクションだったわけです。
私は読みたいし、これは伝えたいと思っているけれ
ども、私には読めないとずっと思っていました。
記者:ずっと?
大場:ええ。それで、今回いろんな偶然が重なって、劇場を
決めてどんどん進む中でも、チラシのタイトルにある
ように、震えてきているんです。何かこう特別な感情
がわいてくる。本当に私が読んでいいのかな、果たし
て読めるのかな、と。こんなことを言ったらいまさら何
を言っているのって思われてしまうと思けど、その戦
いは本番までずっと続くと思います。
記者:最初読まれたときに「集団自決」の事実を知っていて、
読まれたのですか? それとも読んだ後で知ったので
すか。
大場:知ってはいましたが、どれだけ悲惨だったかという詳
しいところまでは知りませんでした。
宮里:それは無理もないですよ。人間って実際に体験してみ
なければわからない。しかし、体験したからと言ってそ
の体験をうまく伝えられるかと言うと、必ずしもそうで
はない。物書きは体験のあるなしにかかわらず、フィ
クションあるいはノンフィクションの形で、ことばによる
表現を通して伝えようとします。『ウンジュよ』の場合、
表現として成功しているかどうかは分からないけれど
も、ぼくとしては少なくとも言葉の持つ力を信じたいで
すね。今回の場合は、大場さんが大場さんなりのスタ
イルで語ることで、書き手であるぼくの意図を超えた
世界を展開してくれるかもしれない。大場さん自身も
また、回を重ねるごとに新しい発見をしながら進化し
ていく。ぼくはそれを期待しているんです。そこに大き
な意義があると思います。
大場:さっき、この作品をなかなか最後まで読めないという
話をしましたが、自分が制作サイドに回って、録音を
聞いてみてね、やっと客観的になれました。それ以前
は、仕事部屋の机にはいつもティッシュの箱が置いて
あって、もう鼻をかみながら、泣きながら、1日1回から
2回は必ず通して読むようにしていますが、それでも
最後まで読みきれなくて、これは何箱ティッシュを使え
ば読み切れるようになるだろう(笑)と思っていました
ね。
宮里:それは大変だったなあ。それで、もう大丈夫?
大場:……。(笑)
宮里:余裕ができてきたところで、今度はどう読むかという
ことになりますが、この作品は先ほどから話している
ように、心理の変化や時間の推移に飛躍があります。
飛躍ということは説明がないということです。しかし、
その飛躍を語り手がどう表現するかということがぼく
の楽しみです。何も語らずにうつむいているか、空(く
う)を見つめて目を閉じているか、それとも……。
大場:そこが演者としても楽しみのひとつです。お客様に対
してどう表現するかの戦いの中で、私は映像的表現
を選びました。
宮里:たとえばね、母親が子供の首を絞めた後、自分もカミ
ソリで首を切って倒れる。倒れた時は、きっと、こんな
風になっているのでしょうね。(机に倒れて)意識はも
うろうとしていますよね、その彼女が最後に見たもの
は、草の葉から落ちる雫、だった。
大場:はい。
宮里:そこをどう解釈するかですね。解釈によっては、次の
行に行く前にどれくらい間をおくか。そういうところが
書き手としての、あの、おもしろいというか、楽しみな
んですね。
記者:そうなんですか。聞いていて、先生が本当に楽しそう
に感じます。(笑)
大場:だから、そこが、私が5分以内には次に進めないところ
ですよ。倒れて雫を見ていて、次の瞬間、「でも助かり
ましたぁ」(笑)とは言えないわけですよ。間を置いたに
しても、さらっと「でも、死ねませんでした」とは、言えな
い。もしその場ですぐに言うとすれば、息がだんだん
なくなって、意識もなくなるのだけれども、「死ねません
でした」と声にならないような声になると思うわけで
す。少なくとも、役者としては、普通には読めない。か
といって、5分も黙ったまま間を置くわけにはいきませ
ん。
宮里:さて、困りましたね。どうしますか。
大場:さて、私はどう作りあげたでしょう。(笑)
記者:「でも、死ねませんでした」という言葉は、重いですよ
ね。
宮里:重いです。しかもそういう箇所がいくつもある。
おそらく、今回の公演で5ステージやって、それでもま
だ語り切れていないとお感じになれば、書き手として
はうれしいですね。大場久美子という女優は朗読の
度に進化していくわけですからね。
大場:ええ。私、いまだに毎日毎日、変わってきています。朗
読の面でも選曲の面でも。(笑)本番直前まではどん
どん変わっていくと思います。
記者:その辺の作り方が、お芝居的ですね。
最後に先生からひとことお願いします。
宮里:伸び伸びやってください。自分の産んだ子がどう成長
していくか、楽しみながら見守りたいと思います。