春分の日でしたね。

 

ここ数ヶ月の間に私に起きてきたことといえば、

 

・物を減らしスッキリとした部屋にしたいこと

 

・食欲が減ってきたし、腹八分目でお腹をスッキリさせていることが気分がいいこと

 (すごい便秘なので薬も飲み始めたらめちゃくちゃお腹がへっこんだ。)

 

・眠っても眠っても寝たりないこと

 

 

 

なんだか春分の日少し前あたりから空気感が特別な感じがしていましたが、

 

意識したのは当日でした。

 

どうやってすごそうかな?と思ったけど特別なことはせず、

 

いつものようにイオンに行って久々にリアル本屋さんに入りました。

 

 

かつて憧れ、実際にお世話になった方の本が本棚にあるのを見つけて読んでみると、

 

内側が震えるような感動があり、それを買ってカフェで読みました。

 

最近は非二元とか、仏教とかの本ばかり読んでいて、

 

わりとクールなものの見方になっていたのに、

 

その本を読んでいると

 

「心震わすとはこういった感じだったな」ということを少し懐かしく思い出しました。

 

 

いろんなものの見方、考え方には正解などなくて

 

どれもそれぞれにそういった体験があるなということだと思いますが。

 

 

 

この本を読んだら、

 

自分をいつも我慢させたり、いい子にさせていたなとすごく思いました。

 

そんな事は心について散々やった私には分かっていたけど、

 

人を変えない、世界を波打たせない方法ばかりを好んでいた。

 

 

 

自分の人生、自分を生きないでどうするのか・・・

 

このまま死んでいってもいいのか・・・

 

なんのために生まれてきたのか・・・

 

 

 

 

ちょうど今の職場では、

 

わがままや理不尽に振る舞う人々と過ごさなくてはならない状況にあり、

 

いかに自分がその場を平穏に収めようと自分だけをすり減らしてきたかがアホらしくなって

 

そういうのやめよう!と本を読んで思った次の日、

 

とうとう行動に出ていた!!

 

これからもそうすると思います。

 

 

 

人は変えられないから自分が変わらなきゃと思ってきたので

 

人に言い返したり、感情的に物を言ったりしないで来たけど、

(無視はした)

 

嫌なことを嫌と言っていいし、

 

できないことをできないと言ってもいい。

 

 

自分だけが抱え込んでなんとかしようとしていたことは

 

とても狭い世界に閉じこもって来たのかもしれないなと思いました。

 

 

 

自分が変われば世界が変わるは本当だと思うけど、

 

世界に波風を立ててはいけない感覚があった。

 

少しでも波風を立てると後から強烈な恐怖がやってくる。

 

そしてまた隠れることを選んでしまう。

 

こっそり自分でなんとかしようとする。

 

 

 

 

もし、この春分で私の扉が開いたとしたら、

 

それは他人の気持ちを大事にしたのと同じように、

 

自分のことも大切にすることです。

 

 

 

言い尽くされたことですが、

 

これは私にとってとても新しい感覚です。

 

他人を尊重することはできていた。

 

たとえ理不尽でも。

 

それが自分のためでもあると思ってきた。

 

そして今でもそれはそうだと思う。

 

 

 

それでも今は、自分を尊重し

 

他人にもなにかリアクションしてみようと思っている。

 

なにが起きても構わない。

 

世界がなんとかするだろう。

 

大げさだろうか?

 

私はこんな感覚で生きてきたのだ。

 

これほど波風立てることに神経質に怯えて。

 

 

 

 

開いた扉からは明るく軽やかな光が差し込む。

 

 

 

傍若無人な人々が現れるのは

 

この行動を後押しするためだったのかな。。

 

 

 

私が荒れ狂うと誰にも負けないという

 

ものすごい感覚がある。

 

アホなことを言うやつはこてんぱんにやっつけてしまいかねない。

 

きっとこの怒りが内側に燃えたぎっている。

 

アホなやつ=自分勝手なやつ=他人を傷つけても自分の傲慢を押し通すやつ

 

もしかしたら自分もこんな「アホなやつ」みたいになりたいのかもしれない。

 

傷つけられた恨みを仕返ししたいのかもしれない。

 

 

 

私がちょっとくらい荒れたって、世界はどうにでもなるさ。

 

ここらで他人にも私を助けてもらおうじゃないの。

 

いままでどれだけすり減らしたかわからない私の傷に

 

ごめんなさいを言うのは私だ。