”遊ぶ”

大事だなって思います。

正確に言うと、

大事なんだと

長男長女を通して教えてもらいました。

 

 

https://plaza.rakuten.co.jp/moriheikou/diary/201811300000/

 

 

我が家の長男と長女はほとんど勉強してません。

ゲームと動画で過ごす毎日です。

 

でも、会話をしていると

学ぶ事は好きなんです。

知りたいという意欲はめちゃくちゃあります。

 

ウチの子ども達が苦手なのは

”評価”を目標にした勉強です。

”点数”を目標にした勉強です。

 

評価に関する事を

なにも言わなくなったら

ちょっとずつ、自分で勉強するようになりました。

先日、長女が久々に夢遊病な感じで起きてきました。

 

 

すごく苦しそうで

 

 

『しんどい、しんどい』

『もう、いやや〜!!』

 

 

とつぶやきながら

そして、

だんだん目が覚めたような感じで

 

 

『しんどい、しんどいと思ってたら

 もう一人の自分が

 しんだらいいやんっていうねん』

 

 

『そんなんいややけど

 でも、しんどくて、

 どうしたらいいかわからへんねん』

 

 

『今まで、周りの人のために

 一生懸命頑張ってきたけど

 それももうどうしたらいいかわからない』

 

 

『自分を大事にしたらいいよって言われても

 どうしたらいいかわからない』

 

 

『くるしいよ〜

 しんどいよ〜』

 

 

と、泣きながら話してくれました。

 

 

そして、

『そっか、そうだったんだね。

 でも、もう、頑張らなくていいよ

 充分頑張ったよ

 えらかったね

 つらかったね

 いっぱい泣いたらいいよ

 よく、話してくれたね』

 

 

おばあちゃんからの

そんな声がけと、

背中をしっかりさすってもらったおかげで

安心したかのように

わんわん、わんわん泣いていました。

 

 

そして、

『おばあちゃん、ありがとう』

『死ななくてよかった』

 

 

と、笑顔で言って

 

 

『すっきりした。

 話してよかった。

 泣いてよかった。』

 

 

と、とっても安心した顔で

また寝ていきました。

 

 

一部始終を

そばで見ていた私。

 

 

5年生、

まだまだ11年しか生きていないのに

こんなにも苦しんでいたのかと

 

 

毎日過ごしている中では、

ゲームをしたり、

きょうだいで笑ったり、

元気に楽しそうにしているのに

 

 

心の中には

こんなにも大きな悩みがあったのかと

 

 

なんとも言えない

複雑な気持ちになりました。

 

 

でもね、

結果的には

気持ちを吐き出して

大泣きして

すっきりした顔をしていたのです。

 

 

今、私が

そんな長女の気持ちに何もしてやれなかったと

後悔しても何もはじまりません。

 

 

吐き出せてよかったと

生きていてくれて良かったと。

また、一緒に

前を向いて進むだけです。

 

 

 

子どもは

大人の想像以上に

いろんな事を感じていて

いろんな悩みをもっていて、

子どもなりに、

周りに迷惑をかけてはいけないと

元気に見せかけたりしてくれて、

でも、大人と同様、

それだけじゃ進めない時だってあるわけで。

 

 

そして、

親だからといって

子どもの心の中をなんでもわかるわけにはいかないし

全てを助けてあげるわけにもいかない。

 

 

でも、

親自身も、

子どもの時を振り返ってみると

そんな気遣いをしていたな〜

なんて事も思い出したりする。

 

 

結局

こども〜

おとな〜

なんて、区分は

大人が思うほど、

立派じゃないなって。

 

 

同じ、人間。

寄り添って、

ぶつかって、

それでいいんだなと。

 

 

少し前にも

同じように夢遊病で起きてきて

泣いた長女。

 

 

泣くたびに、

すっきりした顔になっています。

 

 

どこか落ち着きも出てきています。

 

 

思いを吐き出す大切さも

痛感しています。

 

 

長女は、今日も元気です。

 

 


教育から、共育へ

教育って、

公教育にしても、

オルタナティブ教育にしても、

いろんなメソッドにしても、

 

 

どうやって教えるのか?

どうやって学んでいくのか?

という視点がほとんどだけど

 

 

学校に行かずに

家にいる長男長女を見ていたり、

私の周りにいる子ども達を見ていると

 

 

教える=何も知らない

教える=何もできない

 

 

子どもは何も知らない、何もできない

子どもは教えてあげないといけない存在

という、

そもそもの考え方が違うんじゃないかな?

と、思うようになりました。

 

 

 

 

子ども達は…

というより

大人も子どもも、誰でも、

何かしらの光るものを持って産まれてきていて、

 

 

それを

本人なのか、

周りの人なのかが

いかに見つけて

いかに気がついて

伸ばしていけるか

ということが大切なんだと思います。

 

 

光るもの=有名になるようなこと

というわけじゃなくて

 

 

周りの人のお世話が上手

草木を手入れするのが上手

話すのが上手

片付けが上手

計算が早い

手作業が上手

料理が上手

人と人を繋げるのが上手

本を読むのが得意

いろんな豆知識を持っている

歴史の知識が豊富

…etc

 

 

なんだっていいんですよね。

 

 

本人が当たり前のように思っている

自分の中のささやかな”何か”が

実は周りの人の役に立っていることは

たくさんあって、

それは、どんな事でも

その人が持っている”光るもの”

なんだと思います。

 

 

それを

いかに見つけて

いかに気づく事が出来て

いかに伸ばすか

それが教育なんじゃないかな?

って思います。

 

 

テストが必要ないとか、

そういう事を言いたいわけではなくて、

テストで挑戦するのが好きな子だっているし、

テストが苦手だとしても、

テスト勉強で何かを見つけることだってあるかもしれない。

テストは一人一人のキラキラを見つける

一つの手段なのだと思います。

 

 

どんな教え方が良くて、

どんなやり方がダメ…

という議論ではなくて、

 

 

どんな方法でも

その人が持つ光るものを大切にする。

 

 

そういった考え方が

一般的になれば

今ある教育だって、

きっともっと活かされるのではないのかな?

なんて思うのです。

 

 

教育の方法ではなく、

ベクトルの方向が大切なのだと思うのです。

 

 

教え育むのではなく

共に育む

 

 

共育。

 

 

大人も子どもも

自分の生きる道を探りながら

共に学ぶ日々。

 

 

これからの時代は

そんな時代になるんじゃないかな〜

なんて

 

 

思います。