●神風

●司馬遼太郎『胡蝶の夢』2巻

平戸では初秋になると北西風が吹き始める。平戸ではこんお風をアナゼと呼び、弘安4年(1281)の元寇の時、蒙古軍の大船団のほとんどを顚覆させたのがアナゼだった。土地の伝承では、この時の侵寇軍を「むくり・こくり」という呼び方で残っている。むくりは蒙古兵であり、こくりは元に強制されて来寇した朝鮮兵のことであろう。当時、平戸島は元軍の一支隊である江南軍軍に占領された。

暴風のために元軍は覆滅するが、当時中央では諸国の社寺に敵国を調伏する祈願をさせ、その験(げん)としてこの風が吹いたと解釈し、公家や自社が神風と呼んで喧伝した。

しかし、当時の平戸では神風という言葉はあまりつかわれなかったようで、海で暮らしている平戸島に初秋のアナゼが吹くのは日常の常識であった。

元寇を潰滅させたほどのアナゼだが、平戸人にとっては、アナゼがトビウオの大群を連れてくるので幸福の風でもあった。時化の中、細長い大網の両端を数隻の舟で保ち漁をする。船が海面にひしめくほどに出て、海面下浅く群游してくるトビウオをすくいとる。舟は大波の波頭に姿を現したり消えたり激しく上下する。

平戸島と肥前の本土との間はせまい瀬戸でへだたっている。肥前本土では平戸ノ瀬戸などと呼ぶが、平戸ではみな雷(いかずち)ヶ瀬戸と呼ぶ。潮流は速い時など6ノットにも及び、轟々とひびきをたてて奔るたみにそういう名称がついたらしい。

平戸では漁師だけでなく、城下の武士も、

「小潮になれば釣りにゆこう」

などという。大潮は潮差がもっとも大きい状態で、陰暦の月のうち満月前後に大潮となる。大潮に舟を出せば潮流のために難渋するため、潮差の小さい小潮の時期を見計らって船を出す。