私の母は

49才で卵巣がんを発症し

54才で亡くなっています

4年数ヶ月の闘病生活でした


もう弔い上げも終わった

30年以上前の朧げな記憶になりますピンク薔薇


私が社会人1年目のころ

仕事から帰った母が腹痛を訴えることが

よくありました


内科では何も見つからず

病院を転々とした結果

婦人科の腫瘍ということで

大きな病院で手術をうけました


最初に腹痛を訴えてから半年は

経っていたと思います


その当時はまだ

がん=不治の病


がんはよほど初期でない限り

告知しませんでした


病院スタッフはもちろん

家族も良性の腫瘍ということで

本人に嘘の病名を告げていました


そして手術後の抗がん剤も

癒着をしないようする点滴と偽っていました


当時の抗がん剤は

今のように改良されてなく

吐き気が特に強かったようです

吐き気に効く良いお薬も

まだなかったようです


そして抗がん剤は入院して

するものでしたから

最初の入院は手術も入れて

実に7か月にも及びました


その後は入退院の繰り返し

3回の手術をして頑張りましたが


最後の方は

腹水が溜まっていき息苦しさを

訴えていました


痛みは抑えられていたようですが

延命のための治療に

正直、早く楽にさせてあげたいと

思っていました



私の20代前半は

母の闘病と共に過ぎていきました


楽しいことをしていても

母を失ってしまうかもしれないという

恐怖が常につきまとい


いつもどこかに雲がたちこめ

晴れない心のうちは

第二の患者と言われる

家族特有のものかもしれません


そして私は乳がん卵巣がん症候群HBOCの

BRCA1の遺伝子を母親から1/2の確率で

引き継いでしまったのです






今日もお読みいただきありがとうございました