普段、なんとなく感じていることを書いてみようかな・・・などと思い立ちました。
ちょっと真面目に、「友人達」について。

私、30になる何年か前くらいから、思い始めたんですよね。
友達って、歳を追う毎に徐々に「自然淘汰される」ものなんだなーって。

遊ぶ時間パワーも豊富だった20代中盤くらいまでは、
言い方は悪いが、「質より量」的な友達づきあいをしていたような気がする。
無神経さにムカっとしたり、
ワガママな態度に目を瞑ったりしながらも、
ノリがいいからOK」みたいなところで、人間性などさほど気にせず付き合えていた。
おそらくそれは私自身にも言えることで
時には無神経なことを平気で言ったり、
自分勝手な行動をしたり、
それでも友人関係は保たれていたのかもしれません。

でもある時期から、
「一緒にいて居心地がいい」ってことが友人としての必須条件になった。
それにより、自然と付き合う友人が限定されてきたように思う。
きっかけのような出来事がなかったわけでもない。(しかしあえて割愛する。)

そのきっかけがあって、
「無理に友人として付き合っていく必要のない人もいる。」と思うようになったのかも。
そして
「自分はそう思われない程度の人間でいよう。」と改めて感じたことも事実。

自然淘汰と言っても、
ひとつイヤな部分があったからといって「消去」ってことではない。
人間は神様・仏様ではないので、いいところもあれば、悪いところもある。
優しくできる時もあれば、つい意地悪な気持ちになることもあるし、
相手を思いやれる時もあれば、そういう余裕が無い時もある。
それをふまえた上で、
その人自身の「根本的な部分」を認められるかってことなのかも。

なんだか難しい言い方になってしまったけれど、
つまり・・・
イヤな部分を許せるか否か・・・
欠点も含めて「好き」かどうか・・・
ってことが重要な気がする。
それは逆に言えば、
「自分も許してもらってる部分がたくさんある」と相手に対して素直にそう思えるからだし。

要するに
「お互い様です。」の気持ち。
それが相手に対して持てるかどうかが友人としての基準になってきてるのかも。

社会に出て長くなると、
嫌いだから付き合わない・・・じゃ済まされない人間関係がまわりに増えてくる。
だからこそ、
友人くらいは「居心地のいい相手」を選びたくなってくるんだろうか。

そう考えると・・・
今現在、私のまわりにいる友人達は
私にとってすごく「居心地のいい面々」であることに間違いない。
困った面々・・・としておもしろおかしく、時には皮肉っぽくブログのネタにさせてもらってますが

本当はみんな大好きなのよーーーー!!!!!


というわけで、
悪友達よ、これからも末永くよろしくお願いします。
”人間臭いエピソード”をどしどし提供してください。



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