理解者を求める(娘世代) | キナリの“わたしらしく生きる”ということ

キナリの“わたしらしく生きる”ということ

それぞれがわたしらしく生きるということ…それが
地球にやさしく 自然にやさしく
自分にやさしく 人にやさしく
すべてはひとつ すべてでひとつ
【キイナリキナリ】
“ わたしを生きる”地球暮らし便り

自分自身が自分のよき理解者であれ とはいったものの、最近 娘との話の中で 感じたことを 今日は書こうと思う。



外に理解者を求める…承認欲求全開の友だちもどきに 疲れるのだという。


クラスという箱の中で、
例えば、
推しメンが被ったら、その被った子を拒絶する人が多いんだとか…     (そういうタイプが集まったとも言えるのか…)
独占欲が強いのか?勝ち負けでもなんでもないけど、そういう“私だけの特権”的な。

そこに 特に思い入れもない視点でみると、好みが似ていて共通部分が多いのなら 合いそうなのに!って思うけどね(笑)


そうすると、世界が狭くなる。

“コレじゃなきゃダメ”が多くなる。

“この人じゃなきゃダメ”…


友だち関係?友だちもどき関係?が コレだとキツイよね。

友だちのグループ間でも こうなるんだよね、きっと。



娘は、その子の承認欲求の承認されたい相手は 他にあることを知っている。

100%手放したら、その子がココに来る意義を失うだろうことも知っている。

そういうことだなって、気づかない人もいる。

気づいちゃったからの板ばさみ感。





きっと 
親に対する承認欲求が満たされない子どもが増えているんだろなって    と思う。

思い込み、思い違いも含めて…