『月の魚』
呼吸を止めて月を見上げる。
真っ暗な部屋に居る僕はまるで深海魚。
遠い水面に淡く揺れる光に焦がれて
ぱくぱくと泡を吐く。
あの綺麗な光が
僕にも降り注いでくれたら
こんな哀しい心に振り回されずに済むのかな。
遠い遠い光
この部屋を照らしてはくれない光。
止めていた呼吸をゆっくりと吐き出して
それはまるで長い溜息の様で
深呼吸というよりは
失意を身体の隅々まで運ぶ作業だった。
或いはそれは絶望か。
とても静かに忍び寄る悪魔が
僕の魂を狙っている気がする。
だから僕は微笑んだ。
僕の魂が貴方の利益になるのなら
どうぞ今すぐさらっていって。
死ぬのは怖くないんだ
だってもう
大切なものは全て死んでしまったから。
全て死んでしまったあの日
僕も死んでしまったから。
狂ったように泣き喚いても何も戻ってはこなかった。
だから僕は死ぬことにした。
哀しみの海に飛び込んで
あとはもう、何も感じなくなった。
緩やかな死はもどかしくて
毎日死ぬ夢を見る。
とても安らかで
とても穏やかで
とても幸せな、死。
もう一度呼吸を止める。
心臓の音が煩く響く。
どうしようもないくらい
僕は生きてしまっている。
それが決定的な間違いみたいで
もう呼吸なんてしたくなかった。
窓の外には月。
僕には届かない光。
死のう。もう死んでしまおう。
苦しくて涙が零れる。
カーテンに爪を立てて抗うけど
身体が強制的に肺に空気を送って
激しく咳き込んだ。
空気を吸っても吐いても
身体に回るのは酸素と絶望。
涙目で窓の外を見る。
月はもう雲に隠れてみえなくなっていた。
深い深い闇の中で
僕は砂に還る魚を思った。
劣等感
例えば生番組。
司会者や出演者は台本通り全てを進めて
一分一秒の狂いも出さない。
それはプロの仕事だから。
それで生活を築いているから。
でもそれは、当たり前じゃなく
戦って勝ち取った権利の上。
それが出来るから勝ち残れた。
番組に出ている者の後ろには
確実に敗者が存在している。
それも一人や二人ではない。
数え切れない程の大勢の敗者の上に
彼らは立っている。
例えば工場。
寸分の狂いも無く物を作り上げていく職人達。
それはプロの仕事だから。
それで生活を築いているから。
それは当たり前じゃなく
戦って勝ち取った権利の上。
それが出来るから勝ち残れた。
職人達の後ろには
確実に敗者が存在している。
それは番組よりは少ないかもしれないけれど
世の敗者の底辺は工場から追い出された人間だと思う。
それらに毎日触れていると、
自分が如何に劣等者なのか思い知らされる。
自分は何も出来ない。
時間を守ることも
手先の器用さも。
失敗が許されないこの世界で
僕は人生という道から外れ
失敗作になった。
この世界にコンティニューは無い。
セーブしたことが無いからロードも出来ない。
難易度の選択も出来ずに放り出されたこの世界で
残機0の状態から強制的にスタートされられる。
それで失敗しない方がおかしいと僕は思うが、
世の中はそうではないらしい。
目に映る全ての人間が、物が
完成された完璧な形を伴う。
人生という道を真っ直ぐに進んでいる人達。
僕は
駄目だった。
イージーモードで進めているゲームですらまたゲームオーバー。
練習面で全滅する実力。
人生もゲームも僕はてんで駄目だ。
そういう決まり。
もう僕は、ゲームオーバー。
だって完成されたこの世界に
僕は存在しないのだから。
『檻の中の僕』
あの日僕は初めて人を殴った。
ソイツはただ声を殺して泣いていた。
それが何故だか酷くイラついて
僕はソイツを小さな檻に入れて鍵をかけた。
あとはもう、逃げ出すように其処から走り去った。
誰にも見つからないあの場所で
アイツは今も泣いているのだろうか。
真っ暗な所に閉じ込められて
開かない扉を眺めているのだろうか。
何も言わずに殴られて、閉じ込められて
アイツは僕を恨んでいるんだろうか。
そんな事ばかりが脳裏をよぎる。
気が付けば僕は笑えなくなっていた。
笑うことだけじゃない、泣くことも怒ることも。
感情が分からなくなって、途方に暮れていた。
何処かに落としてしまったのだろうか
誰かに奪われてしまったのだろうか
それともそもそも僕には
そんなものは備え付けられていなかったのだろうか。
どうしよう。
僕には心が分からない。
その時だった。
目の前に鉄格子が見えた。
頑丈な鍵のかかった重い扉。
何故だか左の頬がひりひりと痛む。
口内には鉄の匂い。
そして目の前には
僕が立っていた。
間違いなく、あの日の僕だった。
僕は檻の中から手を伸ばした。
「お願い、置いて行かないで」
向こうの世界の僕が言う
「もう僕を置いて行かないと誓える?」
「誓うよ、だから」
此処から出して。
僕は泣いていた。
向こうの僕は歪に笑っていた。
「僕を、捨てたくせに」
そしてしゃがみ込む僕と目線を合わせて言った。
「僕を許せる?」
弱い自分が嫌で
檻の中に閉じ込めた。
あの日から僕は
強くなれた気がしていた。
だけど違った
僕はずっと泣いていたんだ。
この檻の中の自分が、本当の自分だった。
「君が許してくれるなら」
次の瞬間、檻は無くなっていた。
もう一人の僕も消えていた。
でも確かに自分の中に彼を感じた。
「一緒に行こう。ずっと一緒に」
何故だか僕は、嬉しかった。
学生時代
もう10年も経つのに、未だに「学校に遅刻する!」と起きることがある。
それくらい僕の生活環境における精神年齢が伴っていないのだろう。
卒業してからの数年が、丸ごと嫌な思い出しか残っていないというのも影響しているのかもしれない。
俺はずっと気付いていた。
受験勉強もせず、アルバイトもろくにせず、友人に恵まれ、
一人で好きなことを好きなようにやっていた学生時代。
”今楽をしている分きっとしっぺ返しがくる”
ずっとそれに怯えていた。
かといって、自ら苦に落ちる気もしなかったし
家庭環境は学校の生活と反比例して酷かった。
でもここまで落ちるとは思ってもみなかった。
社会人になってからの記憶の殆どが嫌なものになっていた。
学生時代は大変だったけど楽しかった。
だからきっと、俺は夢から覚めた時にこの世界に絶望しないように
学生時代の設定で起きるのだと思う。
挫折して、裏切られて、捨てられて。
そんなことばかりだった10年間。
働くことも、新しい友達もできず
孤独が友達になった時間。
それを受け止めるだけの心が、無いんだと思う。
今はもう新しい友達もいらないし、一人の時間の方が大切だと思う。
挫折したくないから何にも挑戦しないし。
働こうと思っても、この身体のスペックでは到底無理な話。
それでいいと思っている。
それでいいと思っているのに、心はそれを許諾しない。
いつまでもいつまでも学生時代に囚われている。
もう通学路さえ覚えていないのに。
未来に向かって進むことなんて出来ない。
過去になんて戻りたくない。
今をクリアする方法が、分からない。
流されて流されて
このまま死んでいくのかと思うと
今すぐ死んだ方が全ての為になると思える。
死にたいのもあるけれど、今一番頭にあるのは
”死ななければならない”という観念。
俺みたいなのが生きてるというのが間違っている。
本来ならば死すべき命なのだと思う。
世界に適応出来なかった自分。
社会に適合出来なかった自分。
こんな命ならば、無い方がましだ。
永遠の眠りに就いたら
僕は学生時代の思い出に取り残されるのだろうか。
それもまぁ、いいかもしれないな。
間違いだらけの毎日だったけれど
あの時の俺は生きていたから。
学校という社会の中で
生きていたから。
27回目の昨日
昨日、無事誕生日を終えることが出来ました。
昨日の晩、夢に死んだ父が出てきました。
「人魚の肉を食べると不老不死になれる」
そう言って父は人魚を殺して持ってきました。
父よ。
言われなくてももう少し生きるつもりだけれど
不老不死は必要ありません。
人間は死ぬために生まれてくるのだから。
勝手に酒に溺れて
勝手に死んでいった貴方のようにはなりません。
そう思いながら
祖父の遺品のレミーマルタンを一杯だけ飲んで。
父も祖父も、きっと僕を愛してくれていた。
僕は愛というものを持って生まれて来なかったから
こういう形でしか、思いを馳せることが出来ないのだけれど。
ありがとう。
清水の血も
堀口の血も
きっと僕で途絶えるけれど。
終止符を打つために生まれてきた命ならば
僕の天命は僕の思いに適っている。
終わらせましょう
罪の連鎖を。
醜いこの魂をもっては
何処へも行けないのならば
此処で朽ち果てましょう。
27回目の昨日を
27回目の今日を
27回目の明日を
僕はきっと何かを失いながら生きていく。
劣化してゆく器を捨てて
個を忘れ、全てと一つへ還るまで。
ゼロの彼方へ還るまで。
おはよう。
おはよう。