カール・ヒルティ、「幸福論①」125頁より: | 真田清秋のブログ

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 『クリンガーの第一節で言おうとするのは、いわゆる「成功」についてであるが、成功に関する正しい判断は以上のことから自然に生じてくる。大いに成功をおさめたと言ってよい現代人の一人(ティエール)は。彼の生涯のある時期には、相当熱心に成功を求めて努力したのであるが、それにもかかわらず、ある時、次のような注目すべき言葉を述べた、「主義の人にとっては成功なんかどうでもよい。ただ抜け目なく生きようとする者にのみ、成功は必要な条件となるのである。」その意味は、他方から言えば、こうなるであろう。すなわち、無事に世を渡るということを、普通「成功」(もっと適切にはフランス語のsucces(

うまくいくこと))と名づけて多くの人がその努力の目標としているものと、混同してはならないと言うのである。それは全くの別物である。成功を目当てに生きる者は、心の安らぎ、自分や他人に対する精神の平和、また多くの場合に自尊心をも、初めから断念しなければならないだろう。人生における真の成功、すなわち、人間としての最高の完成と、真に有用な活動とに到達することは、しばしば外面的な不成功をも必然に伴うのであるほし。

 ⭐️ 最も幸福な現代人の一人である故ブリンツ教授(1887年没)の追悼文のなかにこれと同じ思想を見出すのは、われわれにとって愉快なことだ。その文中にこう言ってある、「彼は、ときおり物事が我々の意思に反して起こるということを、世界秩序に属するものと考えた。そして世界秩序がそのように出来ているということは、我々の精神にとって結構な、幸せなことだと思った。我々が自らの罪なくして受ける災害や苦痛は、おそらくその値なしに受ける多くの幸福の賠償であるように思われる。これは完成の途上において、魂を浄め、強くするものである。」常にこのように感ずることのできる人は、それだけですでに人生の最も困難な部分を免れているのである。

 人間は成功によって「誘惑」されるのだ、というスパージョンの言葉は、いくらか奇妙に聞こえるが、しかし正当である。称賛は人の内部に潜む傲慢を引き出し、富は我欲を生む。この二つのものは成功がなかったら、最後まで隠れたままで現れて来なかっただろう。その萌芽があれば、成功によって成長するのである。

 成功というものは、総じて人間の悪い性質を誘い出し、不成功は良い性質を育てるものだ。これは平素、容易に認められることである。

 利己主義から抜け出した結果を、スパージョンは多少空想的ではあるが、しかし正当に、次のように述べている、「あなた方が、自我から脱出したら、今度は何処へ入るか、無窮へ、である。無窮に到達した者は、もはや計算をする必要はない。あなた方が、ひとたびあなた方自身を脱却すれば、そこがすでに無限の世界なのである。」』

 

                   清秋記記: