「小沢一郎待望論」はなぜ、根強い? | 真田清秋のブログ

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 森田実氏の著書「『小沢一郎』入門」より:


 『小沢が「剛腕と言われる理由」


 小沢は歴史が好きだ。とくに、幕末、明治維新に興味を持つ。

 この時代は、約260年間も続いた徳川体制ーーそれもカチカチに固まった体制を、地方の下級武士たちが破壊し、新しい体制を築いた時代である。小沢は思想、行動力の点で坂本龍馬、高杉晋作に惹かれる。また、体制破壊のシンボルであり、志ある若者を統率した西郷隆盛を情ある人間として好む。政治家としては、近代国家建設をリードした大久保利通に共鳴する。


 小沢の政治人生は二つに大きく分けられる。

 自民党離党以前と、それ以降だ。


 小沢は政界に打って出たときから「今の体制を変えて、新しい日本をつくりたい」という志を持っていた。それは今も変わらない。小沢が幕末、明治維新に強い関心を抱く理由がわかる。小沢に幕末の志士を重ねるよ、彼の政治人生がよく見えてくる。

 離党以前、小沢は体制破壊、新体制構築のために思想、行動力を身につけ、破壊のためのエネルギーを蓄えた。そのときの小沢は龍馬であり、晋作である。そして、後述するが、同志を募り、蓄えた破壊力をもって自民党をカタカタにして党を割って出た。このとき、小沢は西郷だった。

 離党以降、新体制の構築に全力を注ぐ。まさに大久保である。

 小沢は1969年、衆院選に旧岩手二区から自民党公認で出て、27歳の若さでトップ当選する。この総選挙を幹事長として総指揮したのが田中角栄だった。小沢はのちに党内最大派閥となる田中派に属する。角栄門下の第一期生であった。

 その後は、党総務局長、国会対策筆頭副委員長、衆議院議院運営委員長、自治大臣兼国家公安委員長と、自らに与えられて任務を着実にこなしながら、大幹部への階段を確実に昇っていった。70年代後半には、田中派初代事務局長も務めている。最大派閥の世話役を務めれば、仲間だけでなく全党の選挙区事情や各派閥の議員の台所のやりくりが手に取るようにわかる。議員間の人間関係も、彼らの私生活も見えてくる。

 小沢が実力をつけ、自らの「至誠一貫」の人生哲学を身につけたのは、このころと言ってもいいだろう。

 とくに、小沢が党内で頭角を現したのは、1982年からの総務局長時代だ。

 総務局長は幹事長直属のポストで、国政選挙、首長選挙を責任者として手がける。総務局長をまじめにやっていれば、それこそ自民党前議員の金、選挙区事情、何から何まで、裏の裏まで知ることができる。議員からすればそれぞれの陣営の最大の秘密である、金と人脈まで覗かれるのだ。

 総務局長というのは大変に重要なポストなのである。のちに「悪魔」と小沢を罵倒し、政敵となる野中広務元幹事長は1983年、小沢総務局長の下で行われた衆院補欠選挙で初当選している。野中も小沢の世話になったのだ。

 比例代表制をはじめて導入した1983年の参院選では、党に対する貢献度、実績を基準にして難題の名簿順位を処理した。このときから、小沢の力は党内で、注目されるようになった。

 国会対策委員会は裏技、寝技を駆使しての野党対策を任務とする。ときには野党議員の弱みを握るのも大事な仕事である。

 だが、小沢は寝技は好まなかった。あくまで「誠実」に行動した。議連委員長は常任理事会、本会議をスムーズに運営する司令塔だ。そのため、野党との折り合いをつけるのである。ここでも、小沢は議連運営委員長などの国会における仕事において、誠実を貫いた。いわゆる手練手管は使わなかった。正攻法が小沢のやり方だったのだ

「誠実に勝れる知恵なし」--19世紀のイギリスの大政治家、ベンジャミン・ディズレーリの言葉である。小沢はこの言葉を実践したのである。

 小泉以前の自民党では、閥務、党務に汗を流し、選挙事情に詳しく国会運営に長け、野党との間に太いパイプを持った政治家が、首相の有力候補と目されたものである

 小沢は若くして大幹部になったが、小沢のやり方は、誠実で純粋だった。あまりにも純粋すぎて角が立つこともあったが、小沢が今日まで輝きを失わなかったのは、誠実さの故であった。

 1976年に明るみに出た、アメリカのロッキード社の航空機売り込みにからむ汚職事件で、角栄が逮捕される。1985年、田中派ナンバーツーの竹下登が派内勉強会・創政会を旗揚げし、田中派の分裂を促した。小沢も主要メンバーである。

 直後に、角栄が病に倒れる。1987年、竹下、金丸信元副総裁とともに反旗を翻し、経世会(竹下派)を結成する。同年、竹下内閣が成立。小沢は懐刀(ふところがたな)としてk官房副長官に就く。このとき小沢45歳・

 1989年、史上最年少の幹事長が自民党に誕生した。

 47歳の小沢である。

 時の首相、海部俊樹に次ぐ自民党のナンバーツーだ。半年後の総選挙では、経団連(経済団体連合会)傘下の企業から選挙資金300億円を集めて勝利する。

 このときから、「剛腕」が小沢の代名詞になったのである。』



 長年、政治の裏も表も知り尽くした、正義感の強い誠実な人柄とその公平性で定評のある政治評論家である「森田実」氏の明快な指摘は、現在の多くのマスメディアの小沢つぶしのダーティーなイメージとはだいぶ違う評価ですね(笑)。


 小沢一郎氏ほど毀誉褒貶の甚だしい人物も稀ですが、その真実を知れば知るほど、誠実で全く胡散臭さのない正義感の強い暖かい人柄ですが、こと政治家の原理原則においては厳しい人物と言うのが私の小沢観です。


 その彼のエネルギーの源は、「日本に真の民主主義を打ち立て、根付かせる」という一点にあり、そのための礎、犠牲を厭わない、という一貫した姿勢です。


 その観点から小沢氏を観れば、観るほど、敬愛の念を越えて感動に値する人物と断言致します。


 明治維新の前に、勝海舟がその時点では敵にある人物の西郷吉之助をあまりに誉めるので、弟子の龍馬は、西郷に会いたいと海舟に頼み逢うことになり、逢って帰ってきた龍馬に海舟は、西郷の評価を坂本に聞いたところ?


 「『なるほど西郷というやつは、わからぬやつだ。少しくたたけば少しく響き、大きくたたけば大きく響く。もしばかなら大ばかで利口なら大きな利口だろう』といったが、坂本もなかなか鑑識のあるやつだよ。」(氷川清和)より。


 大人物と言うのは普通の人間の感覚では理解できないためか、その既得権益にすがる権力者に追随する大手マスメディアは、わざわざ体制を壊す人物には危機感を覚え、人物破壊に邁進することが日常茶飯事です。


 それを何時も聞いたり見たリする国民は洗脳器にかかって思考停止状態で、全体主義に翻弄され生きがいのない人生になりがちなんです。


 「生活の党と山本太郎となかまたち」は、暖かくなれば、この記者会見も部屋の中だけではなく、街頭に出て、記者やジャーナリストだけではなく、直接、街の庶民の素朴な意見を聞き、代表の二人がお答えすることにすることに決めました。大変善いことですね★


 それでは、皆様、御機嫌よう★

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