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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、世の中には、何かにつけ、
「自己正当化」
をして、平気な顔をしている人たちがいます。
例えば、平社員が叱責されてパワハラと騒ぐのも、不和の種をまくのも、責任転嫁するのも、あるいは上司が部下に過大なノルマを押しつけるのも、根性論を持ち込むのも、相手によって態度を変えるのも、煎じ詰めればわが身を守るためだと言えるでしょう。
この「自己正当化」について、ある精神科医の方は、次のように述べています。
「そもそも、自己保身願望は防衛本能に由来し、人間が動物である以上、誰にでも多かれ少なかれ備わっている。
だから、本人が追い詰められ、ピンチと感じるほど、知らず知らずのうちに自己保身願望が頭をもたげる。
そして、自分を守るためになると思えることなら何でもやらずにはいられない。手負いの獣が死に物狂いで戦うのと似ている。
それが結果的に他人を傷つけたり、周囲に迷惑をかけたり、場合によっては法に触れたりする事態を招いても、「自分を守るためには仕方がない」と正当化する。
「自分を守るためには何でもする」という必死さが「自分を守るためなら何をしてもいい」という理屈に転換されることだってあるだろう。
そうなれば、罪悪感も良心の呵責も覚えずにすみ、心穏やかでいられる。」
そして、次のように続けています。
「自己正当化は嘘よりも厄介だ。
なぜかといえば、嘘をついている人には、その自覚があるが、自己正当化は知らず知らずのうちに行われ、その自覚がないからだ。
当然、自分が悪いとは思わないし、反省も後悔もしないので、同じことを繰り返す。
この傾向、つまり反復強迫は、自己正当化が功を奏して周囲から許容されたり黙認されたりした過去の成功体験が大きいほど強まるように見受けられる。」
アドラー的に言えば、人が自己を正当化するのは、自分の能力に自信を持っていないからだと言えるでしょう。
私たちは、日々の生活の中で、さまざまな出来事に遭遇し、その度に、自らの価値が危険にさらされます。
つまり、自分の能力が試されるわけです。
その際、自分の能力に自信を持っていない人は、さまざまな課題を克服することができない、と思い込んでしまいます。
そして、そのことが周囲にバレることに大きな恐怖を感じるのです。
なぜなら、周囲の人に
「この人には能力がないのではないか」
と思われてしまうと、自分の価値に傷がつくからです。
そのような状況は、何が何でも避けなければなりません。
そこで、状況に応じて、さまざまな言い訳や口実を見つけ出し、自らを擁護しようとするのです。
その証拠に、決して自己を正当化しようとしない人がいることが挙げられます。
彼らは、自分の能力に対して自信を持っていると言えるでしょう。
それゆえに、自分に非があるときには、その非を認める勇気を持っており、自己を正当化する必要性を感じないのです。
なぜなら、自らの課題を克服することができる、と強く信じているからです。
従って、自らが自己正当化をしているのかどうか、そのことに気づけるかどうかが、自分を変えるための第一歩と言えるでしょう。
【参考文献】
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