「あそびスポーツ」その言葉に込めた想い -2- | フィジカル運動教室 http://www.aso-spo.net/

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愛知県岡崎市で活動しています、子供たちが遊びスポーツを通し楽しみながら、心と身体の根っ子を育むための教室です

前回のブログでは
私自身の幼少期から現在までの
人生、家族について
お話させて貰いましたが



今回は
空手道を通して芽生えた
「あそびスポーツ」への想いを
綴って行こうと思います




私が、生和会空手道教室を立ち上げ
一般のみで
稽古をしていた頃のお話



また、そんな中
初めて道場に入門して来た子どもが
多動症という診断を受けていた事


次に入門して来た
その子のお友だちは
髄膜炎との診断を受けていた事


ここまでのお話は
以前にもブログでお伝えして来ました



当時の私は
現役として地元愛知で開催される
国体の代表を目指して


日々、道場生と
共に汗を流していた時期


遠征や強化練習会なども
頻繁に行われていた時期



私の記事を観た親御さんから
市役所に届いた一通の手紙から始まった
子ども教室


余り深く考えず
一人くらいなら大丈夫かと始まった
子ども教室



そこには
今まで出会った事のない子どもがいました




5秒間、先生の目を見て正座が出来る事

自分で帯が結べる事

返事が出来る事

気合いが出せる事


全て、彼らが出来る事を
見つけながら決めた
昇級審査の内容



そして
子どもたちが多くなるにつれ
道場との距離が遠くなり
道場を去った二人



口先では

今が頑張り時だから
みんなと一緒の時間を過ごさせたいんだろ
そう親に言い聞かせながら



心の中では

施設に通うその子どもたちが
道場に顔を出さなくなった事に
安堵する自分がいました



私が現役を引退して
本格的に子ども対象の道場を
指導するようになって数年



新たに入門して来た
二人の小学生

岡崎聾学校に通う子ども




一人の父親は
私の古くからの友人で
その息子が小学校に入学した時
一度は入門を断った子どもと

一つ歳下の友達



その頃の道場は

一般道場生も増え
全国大会の県代表も輩出するようになる等
現在の道場と変わらず
活気溢れる雰囲気でした



古くからの友人も息子と共に空手を始め


その息子の一つ歳下の道場生は
聾学校を卒業し
国際武道大学に入学し

卒業後は
新潟国体の県代表として
全日本空手道選手権大会でも
県の団体戦のメンバーとして

また、聴覚障がい者の国際大会である
デフリンピックでは
日本人金メダル第一号にも輝きました




その頃から現在に至るまで

全国少年少女大会
全日本中学生大会
全日本中学生選抜大会
インターハイ
国体
全日本選手権大会等
多くの代表選手を輩出するまでになった道場


私自身、その事には誇りを持っています




ただ
やはり
そんな道場での日々は
様々な子どもとの出会いの日々でもあって


空手道としての可能性を
更に拡げて行きたい




それは
従来の空手道でなくても
良いのではないか


言葉にするなら「心の空手道」

何が出来るのかを見つける事




それは
初めて受け入れた子どもへの
昇級審査の内容を決める時の想いにも似て


出来ない事は
恥ずかしい事ではないよ
それは
出来た時の喜びが
たくさん待っているという事だから



それは
長い長い時間をかけて
何度も何度も挫けそうになりながら辿り着く
黒帯取得への道の様に

「見て、聞いて、感じて、考える」




それは
日本文化でもある空手道の心を表す様に
素晴らしい身体能力がより磨かれる教室



可能性豊かな子どもが競技者となった時
みんなの応援があってこその
自分である事を自覚し
感謝する心が育まれる教室





たとえ、みんなと同じ事は出来なくとも
出来ない事のみに目を向けるのではなく
それがどれだけ些細な事でも
一つずつ出来た事に感動出来る



そんな気づきを
子ども、私たち大人そして保護者に
与えられる教室




常に気づき合い想い合える場所



形に囚われる事のない
心の空手道




一人の空手人としての
「あそびスポーツ」への想いです



前回、今回と続けて
あそびスポーツへの想いについて
綴って来ましたが


次回は
「あそびスポーツ」という
言葉の持つ意味について
お伝えさせて頂きます