「問題」とひとつになる | 悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

悟りを特別なものとして崇め、仰々しく語る時代は終わりました、、(^^)/~~~
悟りをより身近に、ごくごく当たり前の自然なものとして生きる時代へ共に参りましょう!(*^^)v

 

 

さて、虫の音が心地よくなり始めた季節、、

 

ふと何気なく、鈴木俊隆禅師の法話集をペラペラとめくっておりましたら、以前に読んだこんな箇所が目に止まったのでシェア、、バイバイ

 

 

 

迷うがゆえ、あなたの問題が、あなたにとって問題になってしまうのです。自分を失わなければ、いろいろな困難はあっても、問題は一切ありません。

 

問題の真ん中で座ります。あなたが問題の一部であるとき、あるいは問題があなたの一部であるとき、そこに問題はありません。あなたが問題そのものだからです。

 

問題とは、あなた自身です。もし、そうであれば、そこに問題はありません。

 

あなたの人生が、あなた自身の周囲の一部であるとき、言い換えれば、あなたが、今、ここで、自分自身に呼び戻されるとき、そこに問題はありません。あなたとは離れて、何かがあるという妄想の中にさまよい始めるとき、そのとき、あなたの周囲はもはや実在ではなくなるのです。

 

あなたが妄想に迷うときには、周囲もまた深い霧の覆うような幻想なのです。妄想の中にあるとき、妄想には果てしがありません。あなたは、いろいろな妄想の考えに次々に取り憑かれます。ほとんどの人は、妄想の中に生きています。そして問題を解決しようとして、問題の中に巻き込まれるのです。

 

しかし、生きるということは、問題の中に生きることです。問題を解くには問題の一部になること、問題と一つになることです。

 

 

 

 

 

って!?私が買ったとき千円もしなかったのに、めっちゃプレミアついてるやん!!笑い泣き

 

1・2共に、まさに現代版、正法眼蔵と言っても過言ではない究極のガイドブックですので禅に興味ある方はぜひぜひ!拍手

 

 

-----------------------------------------------------------------------------------

 

 

さて、というわけで、「問題」 が起きたとき、それを 「私」 にとっての 「問題」 としてしまうから、「私」 とは別に存在する嫌な、「問題」 、その 「問題」 を経験しなければならない 「自分」 がこの世界に生み出されてしまうのです、、

 

 

すべては、思考のトリックです、、同じ出来事が起きても、それを 「問題」 とする人もいれば、特別 「名前」 を付けることなく、淡々とそれを生きる人もいるように、人各々の自我の度合いによって思考が本来、「名前無き事象」 を 「問題」 として固定化してしまうというカラクリです、、秘密

 

 

先の禅師の文章にもあるように、、あるいは、釈迦が、人生とは思い通りにならないものだと語ったとされるように、、人生そのものが本来、「問題」 とは無縁であるということは不可能であるわけですから、「問題」 が起こらないで欲しいなどと願ったところで、あるがままに物事は起き、去っていく定めです、、

 

 

ですから、困難なことが降りかかる時分においてさえ、「問題」 を経験する 「自分」 を生み出し、二元的な、「問題」 と 「自分」 の間の軋轢の中で苦しむのではなく、、進んでその 「困難」 の中へと歩みより、「問題」 と一つになるとき、、「問題」 と 「自分」 との間の分離的な不調和はなくなり、、ただ 「その場を生きる自分」、「今ここと共にある自分」 だけがあります、、カエル

 

 

そして、そのときそこにあるのは、「今ここ」 を受容した者だけに降り注がれる偉大な力です、、これを見出すことができたとき、恐れるものも、はたまた、「問題」 でさえ何一つないということに目覚めることもあるのです、、合格

 

 

 

あ、こんな記事も以前に書いてました、、参考までによろしければ、、ひらめき電球

 

 

 

 

※というわけで、先日車の故障により、4万円の出費、、オーマイプロブレム!!笑い泣き

 

今日も読んで下さり、ありがとうございます!流れ星