悟りの子育て論 | 悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

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悟りを特別なものとして崇め、仰々しく語る時代は終わりました、、(^^)/~~~
悟りをより身近に、ごくごく当たり前の自然なものとして生きる時代へ共に参りましょう!(*^^)v

 

私自身、人の親ではありませんのであまり偉そうなことは語れませんが、、

 

10年以上、子供たちと関わる仕事をしながらも、その中で私なりに子育てにおいて、、

 

 

絶対的に外せない要素というのをそれなりに見てきた経験と日々の悟りメッセージの融合で語るとしてみます、、お願い

 

 

 

一般的に子育てと言うとき、、親の立場が思い描くこんな子に育ってほしいとする像としては様々に理想があるかと思いつつ、、

 

感謝の心を大切にする子、思いやりのある子、何事も前向きに頑張る子、礼儀作法をしっかりできる子、、とまぁいろいろ、、目

 

 

 

といった中で、私自身の観点から子育てというのを見てみたとき、、ある意味で、このことだけを外すことなく (もちろん様々な創意工夫をこらしながらですが) 行うことができればその子の中でもっとも大切な力が芽生えるキーになるように感じられます、、合格

 

 

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それは、ズバリ、、面倒、億劫、厄介の類、、即ち、、自我 (恐れ) が反応するような出来事から決して逃げないように親側や周りが力添えるという点です、、グッ

 

 

子供は悟りを生きているなどと軽々しく語るメッセージもかつてはよく目にしたものですが、、

 

そうした側面も場面においては確かにある一方、、自分にとっての都合や満足を優先させ、それに反する出来事が目の前に現れた場合には、彼らなりの知恵と思考を用いながら、「その場から逃れよう・その出来事を避けよう」 というエネルギーがごく幼い頃から発露するものです、、 

 

 

甘えてきたり、だだをこねたりといった未熟な現れをこちらに見せつつ、まんまとその場から離れようとする自我を見た際には、、原則、それを許してはなりません、、ダルマ

 

 

それを許してしまうと、あるいは、許してばかりいると、、彼らの自我は、「その場から逃れる」 コツやそれによってもたらされる快楽の味を覚えながら、、「今ここ」 に抵抗することをその常態として形作られてしまいます、、バイキンくん

 

 

すると歳を重ねるごとに、、もはや、無意識的、反射的に、、「自分にとっての都合や満足」 に反する出来事が現れた場合には、、「今ここ」 への抵抗と反発がもはや彼らの性質上の一部であるかのように反応し出すというわけです、、

 

 

「今ここ」 しか本質的には存在していない世界にあって、それに抵抗し続ける在り様をエネルギー的には 「非受容性」 などと呼んでいたりしますが、、この状態が 「常態」 になってしまうと、、彼らのエネルギーは、「恐れ」 を生きる在り様、、「恐れ」 ながら生きる在り様へと固定化され、、

 

 

面倒や億劫や厄介に際しては、、瞬間そこから逃れ、それを避けるという反応の中で二元的な溝を深める結果になってしまうのです、、この分離意識の高まりを 「滞り」 などという言葉で表すこともあります、、

 

 

 

さて、そうしたこととは逆に、、私たちが、彼らに、何事にも逃げずに取り組むようサポートし力添えることができれば、もちろん、時には工夫の中での厳しい対応も必要な場面はありますが、、

 

 

彼らの中で徐々に、どんなことにも出会い、「その場を受容し生きる」 という体感が育ち始めることもあるでしょう、、この発露がほんの少しでも垣間見られた場合、、実際のところ彼らの中に、「禅」 が住まい出したという現れであると言えるでしょう、、秘密

 

 

意識の中に、「禅」 があるというのは、いわば、、大木を支える強靭な根っこがあるのと同じようなことです、、今ここにしっかりと根付いた意識は、どんな風雨にさらされようともむしろそれをエネルギーに変えることができるのです、、富士山

 

 

 

 

 

※今日も読んで下さり、ありがとうございます!完了