守破離~形の中で自由を見出す | 悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

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悟りを特別なものとして崇め、仰々しく語る時代は終わりました、、(^^)/~~~
悟りをより身近に、ごくごく当たり前の自然なものとして生きる時代へ共に参りましょう!(*^^)v

 

 

剣道などで、守破離ということが剣道を極める上での修行の流れ?とされているそうです、、

 

 

守、、徹底的に 「型」 を身に着け、「型」 にハマった修行を続ける段階、、

 

破、、身に着けた 「型」 を徐々に破り独自の応用ができる段階、、

 

離、、「型」 の中にあっても 「型」 にとらわれず、自由自在に技を見出すことができる段階、、

 

 

 

さて、剣道の親は、「禅」 であるわけですから、禅においても、これと同様のことが言えるかもしれません、、お願い

 

 

事細かなマニュアルに則った修行が延々と続けられる中、、

 

はじめのうちは当然、その窮屈な 「型」 の中で不自由さを感じることでしょう、、ガーン

 

 

実際、この段階で、「型」 の中にあって、「型」 に抵抗するエネルギーを自我 (自己防衛性) と言うわけです、、プンプン

 

「型」 をまだ 「型」 だと認識し、それとの格闘を続ける段階はそれなりに続きますが、それでも、「型」 を徹底することを続けます、、

 

 

そのうちに、「型である」 ということ、「型」 の中に居ること、「型」 をこなすことに慣れが生じるとさほど、苦はなくなるとも言えるでしょう、、ニヤリ

 

 

しかし、ここで気を付けなければならないのは、「型」 の中に (しがみつきながら) 安住しようという、また別の自我のエネルギーが沸き起こってはいないかという点においては意識的である必要があるでしょう、、ダルマ

 

 

そうした段階を超えながら、徐々に意識が 「型」 を溶かすかのように、「型」 とその中に居たはずの 「個人 (の都合) 」 の感覚の間の境界線があいまいになり始めたりもするものです、、虹

 

 

もちろん、その都度、条件がそろえば、「守」 の段階に感じていたような不快さの感覚は必要に応じて現れてくることもありますが、それ自体、自然な自我の機能ですから、それを抑え込もうとする必要はありません、、

 

 

自我に気づけばまた、自我は規律を取り戻すということも気づき (観照) の力の中で充分に起こり得るものなのです、、富士山

 

 

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こうした禅の取り組みが教えているのは、、実際のところ、「自由」 とは、「型」 に抵抗し続け、「型」 に背を向けた形で、好き放題、「個人の都合」 にばかり則した形での 「わがまま」 な様相のことではなく、、手

 

 

むしろその逆で、、徹底した 「型」 への帰依、その中への三昧に伴って開かれる、「型」 を超え、「個人」 を超えた本当の意味での自由 (あるがまま) へのいざないというわけです、、ドア

 

 

ですから、日常の中で、私たちに一人一人に与えられた、相対的なレベルでの役割、、いわゆる 「型」 を徹底して生きることが、カギ

 

実は一見、窮屈で不自由な在り様に見えながらも、窮屈さの中でも縛られず、不自由さの中でも開かれて在るという受容性への転換を為し得る、ある意味でのキーであるということを思えば、時に、そうした 「型」 についてもプレゼントとも言えるものなのかもしれません、、

 

 

 

※Present、、ご存知のように英和辞典を引いてみると、、贈り物という意味のほか、現在、今、という意味があるんだZEN!!拍手

 

 

 

 

※今日も読んで下さり、ありがとうございます!流れ星