今ここを完全に生きる | 悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

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悟りを特別なものとして崇め、仰々しく語る時代は終わりました、、(^^)/~~~
悟りをより身近に、ごくごく当たり前の自然なものとして生きる時代へ共に参りましょう!(*^^)v

 

 

最近はめっきり唱えることが減ってしまった、白隠禅師坐禅和讃、、お願い

 

その冒頭、こういう文言がありますねん、、ひらめき電球

 

 

衆生本来仏なり 水と氷の如くにて

 

 

ま、ハリー的な超訳では、、

 

我々は皆、「個人」 を生きているように見えはするが、

 

実は全体の中の途切れのないダンスの中に在る

 

であるからして、そうした中で、「個人」 にとらわれてしまうと、

 

まるで、「水」 の中で悪戦苦闘する、「氷」 のような様相、

 

いわゆる、抵抗や滞りといった状態が一時的に起きることもあるものだ

 

とは言っても、我々が水であること、全体であることに何ら違いが生じるということがあるわけではない

 

 

 

ってなところで、、私たちの日々の中で、「個人の都合」 ばかりにとらわれ、それを押し通そうとするエネルギーの高まりに伴って、どういった状況や状態が起こり得るかは何となく想像ができるものです、、手

 

 

「水」 である我々の本性が、「氷」 のような様相を呈してしまうと、全体であるはずの調和自体から抵抗する形で、流れの滞り相まって、なかなか全体との同調が起きにくくなってしまうといったところです、、バイキンくん

 

 

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さて、この白隠禅師坐禅和讃の中には、実はこうしたエネルギーの固定化がトリガーとなって起き得る抵抗や滞りといった様相を見事に突破し、、虹

 

 

全体との同調へと帰還しつつ、有機的な相即相入のダンスを起こし得る、いわば、白隠禅師からの遺言と言うべきキーが現代のわれわれに示されていたりするのです、、カギ

 

 

それがその後に続く、、マカエンの禅定 (ぜんじょう) は 賞嘆するに余りあり

 

といった部分です、、マカエンというのは、いわゆる、大乗 (ウィンウィン) のことを指しており、「個人の都合」 だけにとらわれず、「その場」 に現れた、今ここの現れに対する徹底した帰依 (禅定) によって、

 

 

エネルギーは、「個人」 から 「その場」 全体、「抵抗」 から 「調和」 へとものの見事に昇華、あるいは、転換がなされるというものです、、ドア

 

 

食事に出会い、掃除に出会い、仕事に出会う、、

 

「個人的に」 好ましい状況や相手、出来事ばかりに執着しそれらばかりを良しとするのではなく、

 

どんな状況にも、相手にも、出来事にでも、「今ここで完全に出会う」 という禅定へと歩みを進める時、、

 

 

 

私たちは、白隠禅師が私たちに見せたかった景色を見ることができるのです、、富士山

 

それが即ち、、白隠禅師、ひいては、、禅が代々伝えて来た遺産というべきものを受け取るのです、、ダルマ

 

 

白隠禅師坐禅和讃の最終、、流れ星

 

当処即ち蓮華国 この身即ち仏なり、、チャンチャン!カエル

 

 

 

 

 

 

※今日も読んで下さり、ありがとうございます!完了