何をしていいかわからないとき、、![]()
今居るこの場所はどうも違う気がして、望んだ何かが見つかるかもしれない 「どこか」 へと、
ひたすらに 「探し」 に出かけるといったエネルギーの習慣的な動き、、![]()
「探す」 というまさにその前提が、、「見つかっていない」 状態をより強固にしてしまうために、
意識は、ますます何かを明らかにしようと奔走 (迷走) を続けてしまうのかもしれません、、![]()
そうした浮遊の感覚、どこか落ち着かないそわそわした様子を 「気づき」 が察知したなら、、![]()
特別な何か、今とは違った何かがあるはずだという思い込みを脇に置き、、
まさに今居る場所に根付いて、どこにも行かずにそのままでくつろいでみるということはできるでしょうか、、![]()
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実際、こうして、意識が 「どこか」 や 「迷い」 を手放して、どこにも行かない 「今ここ」 に着地するとき、、
不思議なことに、、迷っていたと思っていた思い込みや、
何かを見つけ出さなければならないと思っていた強迫的な感覚は静まりを見せ、、![]()
まさにその体感自体から、その瞬間に必要なことや、自然な流れというべき衝動が見出されていったりもするものです、、![]()
というわけで、迷ったときや、混乱した時、どうしていいかと焦りの中で途方に暮れた時などは、、
探しに出かけようとするその様子に意識を向け、その奔走のスピードをくつろがせつつ、、
まやかしの 「どこか」 を頼りにするのではなく、初めから迷うことなく居るその場所に立ち還ってみてはどうでしょうか、、![]()
実際、その場への帰依 (受容) が起こるとき、、リアリティの内部でエネルギーは調整され、
興味深い変容やプレゼントというものがもたらされることもあるかもしれません、、![]()
※今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ



