「救い」をどこかに求めていやしないかい? | 悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

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というわけで、鈴木俊隆禅師の逸話集をペラペラと見ておりましたら、、

 

 

今回はこんな箇所が目に止まったものです、、目

 

 

一週間ほどに及ぶ、連日の坐禅三昧の修行を禅では、接心 (せっしん) と言うのですが、、

 

 

その4日目、、ある修行者が、痛い足とうずく背中、希望、そして、この接心には果たして何らかの価値があるだろうかという疑いが沸き起こりながらもひたすらに坐っていたそう、、えーん

 

 

そんな中、禅師は話し始めました、、

 

「あなた方が、今、経験している、その困難は・・・・・・」

 

 

誰もが、「消え去る」 と、禅師が言うのだろうと確信している中、、禅はこう締めくくったと言います、、

 

 

 

「・・・・・・生涯続く」 

 

 

禅師のその言い方に、、その場の全員がわっと笑い出したのだそうです、、拍手

 

 

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さて、この禅師の言葉にはどんな意図があったかは本人のみぞ知るってところですが、、

 

 

接心が半分ほどを過ぎた、その場の苦痛に満ちた場面にあって、

 

もしかしたら、冗談のひとつでも挟んで修行者たちを和ませようとした意図も多少はあったのかもしれませんが、、

 

 

 

彼が禅マスターであるということを思えば、、ダルマ

 

 

おそらくはその言葉の真意は、、「救い」 をどこかへ求めようとする自我の、

 

その微妙にして執拗に沸き起こる動きを粉砕するためのものだったのだろうとも思われるものです、、ナイフ

 

 

 

肉体的、精神的に辛い経験、状況に身を置くと、私たちはそこから逃れ、

 

今ここではない、「どこか」 へと無意識に 「救い」 を求めてしまいがちです、、おばけくん

 

 

 

これは、自我性の 「恐れ」 故の反射作用として、至極自然な反応ではありつつも、、

 

そうすることによって実体性を強固にするのは、、「救われている自分」 を 「どこか」 で実現したいとする、

 

 

「今はまだ救われていない自分」 の感覚であると言えるでしょう、、手

 

 

 

 

「救い」 が 「どこか」 にあると思い込むのも、「どこか」 に行けば 「自分」 は救われると信じ込むのも、

 

迷妄の様相を色濃くしてしまうということを禅の人々は知っています、、お願い

 

 

 

なぜなら、「どこか」 などというものが訪れることは永遠になく、

 

在るのは、常に目の前のここにある、「今」 だけだからです、、秘密

 

 

 

仮に、その場から物理的に離れて、違う場所へと 「逃れる」 ということが起きても、、

 

実際のところ、それが 「今ここ」 であるということには変わらず、、

 

 

また、その場所で状況が荒れてくれば、自我は幾度となく 「どこか」 を求めて逃げ出すことでしょう、、ランニング

 

本当の救いというのは、理想的な 「どこか」 へ辿り着くことで実現されるであろう 「今ここにない特別な境地」 ではないのです、、

 

 

 

常に目の前には、「今ここ」 が現れている以上、、そこから 「逃げ出す」 ということは本当のところでは不可能であるということに気づき、、ひらめき電球

 

 

 「見かけ」 の状況がどんなに苦痛に満ちた様相で現れているときであっても、、ショボーンガーンえーん

 

 

その場所で 「救い」 を実現しないことには、本当の救いは永遠に訪れることはないでしょう、、虹

 

 

 

「救い」 のカギは、「恐れ」 に流されて、その場所から反射的に 「逃げる」 というその動きにまずは気づくこと、、カギ

 

 

そして、実践すべきは、、「逃げる」 ことを手放し、その場所に留まり、「出会う」 ということに一歩を踏み出すことです、、

 

 

 

こうして、「どこか」 に 「救い」 を求めなくなれば、当然、「どこか」 の 「救い」 は消え去ります、、

 

 

 

「どこか」 の 「救い」、すなわち、、まやかしの (偽の) 「救い」 が脱落した時、、

 

私たちのエネルギーは、今ここの出来事へのダイレクトな受容性へと転換が起きており、、合格

 

 

 

 

「どこか」 にも、「救い」 にも逃げ込まない、、本当の意味での 「救済」 が今ここで顔を出し始めるでしょう、、ドア

 

 

 

 

 

 

※今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ

 

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