「快」を求める「不快」 | 悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

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悟りを特別なものとして崇め、仰々しく語る時代は終わりました、、(^^)/~~~
悟りをより身近に、ごくごく当たり前の自然なものとして生きる時代へ共に参りましょう!(*^^)v


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さて、心地よい状態、快を感じる状態を求める、、あるいは、、

 

できるだけそうした状態を維持しようとすることを推奨するといった話を耳にすることもありますが、、

 

 

 

前回同様、、なぜ、そもそも 「快」 が、私たちにとって 「望ましい状態」 であると言い切れるのでしょうか、、

 

 

 

私たちの自我性は、、その 「恐れ」 や 「都合」 故に、、

 

見かけの上で、あるいは、体感的にネガティヴとされるものが身に降りかかるや、

 

 

瞬間的に、それを避けよう、そこから離れようと反応するプログラムです、、おばけくん

 

 

もちろん、これ自体は、防衛的、実用的な側面ではとても役に立つものであることは疑えませんが、、

 

 

 

求道においては、その反射性、無意識性を意識的に 「見る」 ということが大切です、、ひらめき電球

 

 

そうでないと、「不快」 から離れて、「快」 へ辿り着くことができる 「自分」 の感覚、、

 

 

目の前に現れているものを否定しながら、今ここではないどこかに辿り着くことができる、、ランニング

 

あるいは、その状態を所有できると錯覚する 「個人」 の感覚が強まってしまうといったところの、

 

二元的なトラップにすぐさま誘い込まれてしまうと言えるからです、、手

 

 

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冒頭に戻りますが、、

 

「快」 であることがゴールであると思い込んでしまう妄信の度合いが強まれば強まるほど、、

 

 

「不快」 として現れている今この瞬間が、、

 

決してゴールであるはずがあり得ないという観念の思い込みを強め、

 

何があっても今ここから離れられないという大前提を外しながら、機能不全のダンスが延々と続くことになり兼ねません、、

 

 

 

ですから、、「快」 を求めようとするのは、私たちの自然な反応ではあるとは言いながら、、

 

 

何としてもそれを実現しなければならない、それを維持しなけらばならないといった強迫的な誤解や、

 

そこに辿り着くことでゴールがついには達成されるはずだといった 「思い違い」 をしっかりと見抜きつつ、、

 

 

「不快さ」 と手をつなぎ、それが起きていることを気づきと共に許すことによって、

 

非二元性の受容の門は開かれるのです、、ドア

 

 

 

 

 

 

というわけで、そのようにして、快と不快の二元対立が減って来ると、、

 

「快」 ばかりがゴールではなくなり、快も不快もそのどちらもがゴールであって、

 

 

現れていけない状態など何もなく、どんな状態が現れていても、これで良いんだということを分かり始めます、、合格

 

 

 

 

※今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ

 

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