厩戸皇子(聖徳太子)薨去の後、
628年(推古天皇36年)、推古天皇は後継者を明確に決めないまま崩御してしまう。
推古天皇は崩御直前、この時、有力な皇位継承候補者と目される二人を呼ぶ。
一人は、
厩戸皇子(用明天皇の子&推古天皇の甥)の長子・山背大兄王(ヤマシロノオオエノミコ)。
もう一人は、
推古天皇の夫であった敏達(びたつ)天皇の孫・田村皇子。
(※ただし、田村皇子の父の母は、推古天皇では無い。)
推古天皇は、
山背大兄王には、
『自分の望みや考えを表に出す前に、群臣の言葉をよく聞くように。』
と言い、
また、田村皇子には、
『皇位継承は大事で、簡単では無い。物事をよく見て、自制するように。』
と言ったとか。
結果、山背大兄王も田村皇子も、
推古天皇の次は自分であると思ってしまったようだ。
しかし、推古天皇は後継者を明言しないまま崩御してしまい、
その後暫く、天皇不在のまま半年が過ぎてしまう。
そして、事件が…。
歴史は常に動いている。
628年(推古天皇36年)、推古天皇は後継者を明確に決めないまま崩御してしまう。
推古天皇は崩御直前、この時、有力な皇位継承候補者と目される二人を呼ぶ。
一人は、
厩戸皇子(用明天皇の子&推古天皇の甥)の長子・山背大兄王(ヤマシロノオオエノミコ)。
もう一人は、
推古天皇の夫であった敏達(びたつ)天皇の孫・田村皇子。
(※ただし、田村皇子の父の母は、推古天皇では無い。)
推古天皇は、
山背大兄王には、
『自分の望みや考えを表に出す前に、群臣の言葉をよく聞くように。』
と言い、
また、田村皇子には、
『皇位継承は大事で、簡単では無い。物事をよく見て、自制するように。』
と言ったとか。
結果、山背大兄王も田村皇子も、
推古天皇の次は自分であると思ってしまったようだ。
しかし、推古天皇は後継者を明言しないまま崩御してしまい、
その後暫く、天皇不在のまま半年が過ぎてしまう。
そして、事件が…。
歴史は常に動いている。