さて、ここで西からやって来たカムヤマトイワレビコ(神武天皇)に対し、
天璽瑞宝十種を差し出して臣従する畿内勢力のようすが、
日本書紀と先代旧事本紀で若干の違いが有る事を思い出して頂きたい。
日本書紀では、
神宝十種を差し出して臣下の礼を採るのはニギハヤヒだが、
この場面以降、二度とニギハヤヒは登場せず、
ニギハヤヒの子・ウマシマジが神武天皇に末永く仕えたとされている。
それに対し、
先代旧事本紀では、
西からカムヤマトイワレビコがやって来た時点で既にニギハヤヒは亡くなっていて
(ウマシマヂが生まれる前に亡くなっていて)、
神宝十種を差し出して臣下の礼を採るのはウマシマヂとなっている。
二つの記述を比較してみると、先代旧事本紀の方が辻褄が合っていると思える。
では、何故、日本書紀は辻褄が合っていないと考えられるのか?
それはやはり、日本書紀の記述は
畿内勢力がカムヤマトイワレビコに対し、臣下の礼を採る根拠に欠けているからである。
どういう事か?
と言うと、それは、両者の“格”を考えると自ずから答えは出よう。
つまり、
カムヤマトイワレビコとニギハヤヒが直接顔を会わせたとすれば、
天孫(アマテラスの孫)・ニニギから、
国津神の娘との婚姻で三代を経たカムヤマトイワレビコは、既に天津神エッセンスが
12.5%に低下していて、
天孫という点でニニギと同格であると同時に100%天津神のニギハヤヒには及ばないという事である。
ただし、これが先代旧事本紀にあるとおり、
カムヤマトイワレビコとウマシマヂだったらどうであろうか。
カムヤマトイワレビコは、
天津神と国津神の混血により三代を重ねたとは言え、
100%“神”であるのに対し、
ウマシマヂは、
天津神ニギハヤヒと畿内の土着の豪族(ナガスネヒコ)の娘(カシキヤヒメ)の混血、
即ち、神と人との混血で、
“神”の要素が50%に低下してしまっている。
こうなると、ウマシマヂは“血”という点でカムヤマトイワレビコには敵わない…臣下の礼を採るしか無くなる…というわけだ。
たとえ戦闘でナガスネヒコが勝っていても。
以上の考察からすると、
少なくとも、この“畿内を明け渡す”場面については、今では偽書扱いされている先代旧事本紀の方が信憑性が高いと言えるのではないだろうか?
歴史は常に動いている。
天璽瑞宝十種を差し出して臣従する畿内勢力のようすが、
日本書紀と先代旧事本紀で若干の違いが有る事を思い出して頂きたい。
日本書紀では、
神宝十種を差し出して臣下の礼を採るのはニギハヤヒだが、
この場面以降、二度とニギハヤヒは登場せず、
ニギハヤヒの子・ウマシマジが神武天皇に末永く仕えたとされている。
それに対し、
先代旧事本紀では、
西からカムヤマトイワレビコがやって来た時点で既にニギハヤヒは亡くなっていて
(ウマシマヂが生まれる前に亡くなっていて)、
神宝十種を差し出して臣下の礼を採るのはウマシマヂとなっている。
二つの記述を比較してみると、先代旧事本紀の方が辻褄が合っていると思える。
では、何故、日本書紀は辻褄が合っていないと考えられるのか?
それはやはり、日本書紀の記述は
畿内勢力がカムヤマトイワレビコに対し、臣下の礼を採る根拠に欠けているからである。
どういう事か?
と言うと、それは、両者の“格”を考えると自ずから答えは出よう。
つまり、
カムヤマトイワレビコとニギハヤヒが直接顔を会わせたとすれば、
天孫(アマテラスの孫)・ニニギから、
国津神の娘との婚姻で三代を経たカムヤマトイワレビコは、既に天津神エッセンスが
12.5%に低下していて、
天孫という点でニニギと同格であると同時に100%天津神のニギハヤヒには及ばないという事である。
ただし、これが先代旧事本紀にあるとおり、
カムヤマトイワレビコとウマシマヂだったらどうであろうか。
カムヤマトイワレビコは、
天津神と国津神の混血により三代を重ねたとは言え、
100%“神”であるのに対し、
ウマシマヂは、
天津神ニギハヤヒと畿内の土着の豪族(ナガスネヒコ)の娘(カシキヤヒメ)の混血、
即ち、神と人との混血で、
“神”の要素が50%に低下してしまっている。
こうなると、ウマシマヂは“血”という点でカムヤマトイワレビコには敵わない…臣下の礼を採るしか無くなる…というわけだ。
たとえ戦闘でナガスネヒコが勝っていても。
以上の考察からすると、
少なくとも、この“畿内を明け渡す”場面については、今では偽書扱いされている先代旧事本紀の方が信憑性が高いと言えるのではないだろうか?
歴史は常に動いている。