うらしま寺、正式名称・浄土宗 慶運寺の境内に入ると、小さな手水舎。



すぐ脇には、浦島太郎関連の説明が。



相州三浦(現・神奈川県三浦市)の住人・浦島太夫が丹後国(京都北方)に赴任した時に生まれたのが浦島太郎。
太郎二十歳の頃に竜宮へ行き、3年後に戻ると、地上では300年程経っていた事が解り、父の故郷・相州へ下ると、父の葬られた場所を発見。
その近くに竜宮から持ち帰った観音像を祀ったという…。

『江戸名所図絵』『金川砂子』という書物に書かれていたそうである。



こちらが手水舎前から見た本堂。
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本堂正面から。
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こちらの観音堂に、浦島太郎が竜宮から持ち帰ったという観音像が安置されているというのだが、残念ながら扉は閉ざされていた。
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案内板に有った、浦島観音の写真がこちら。
台座が亀になっている。
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こちらが浦島太夫(太郎の父)と、浦島太郎の碑。
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側面には、
『淳和天皇 勅願所』
と、刻まれている。
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淳和天皇は、平安時代前期の天皇。
在位は西暦823~833年。


浦島太郎が相州に下ったのが、淳和天皇の御代だったとか。


不思議な話ではあるが、
“相対性理論”等で説明出来るという説もある。

竜宮とは、何処だったのか?

300年程経っていたという事は、
浦島太郎&浦島太夫は西暦500年代、仏教伝来の頃、蘇我VS物部の争いが始まった頃の人物だったのか?

興味は尽きない。