1083年、清原真衡の養子・成衡と源頼義の娘(名前不詳)の婚礼の日、
当時の清原一族の長老で、前九年の役でも清原武則と共に出兵した吉彦秀武(きみこのひでたけ)が、出羽から陸奥に祝いの品として“砂金”を持ってやって来た。

吉彦秀武は庭で待たされていたが、成衡の養父・真衡は、結局、現れなかったらしい。
奈良法師と“碁”を打っていたというのだが…。

やがて痺れを切らした吉彦秀武は、一向に姿を見せない清原真衡に激怒し、
持ってきた砂金を庭にぶちまけると、出羽に帰ってしまったらしい。

後でこれを知った清原真衡は、この吉彦秀武の行動を祝いの席を汚す無礼な 行為だとし、
吉彦秀武討伐を決めたという。

またも奥州で戦いの兆しが見え隠れし始めたのである…。


歴史は常に動いている。