天文24年(1555年)、
小田原北条氏が大胡(おおご)攻めを開始した。
当時の北条氏当主は、氏康。
大胡城、並びに上泉城は北条氏康に降伏・開城、
その後、上泉秀綱は、かつては関東管領・山内上杉憲政の側近で、この頃は越後の長尾景虎(上杉謙信)影響下にあった箕輪城主・長野業正に仕えるようになったという。
しかし、弘治3年(1557年)、
箕輪城も甲斐・武田信玄の侵攻にさらされる事となり、
上泉秀綱も激しい戦いに身を投じて行ったのである…。
歴史は常に動いている。
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小田原北条氏が大胡(おおご)攻めを開始した。
当時の北条氏当主は、氏康。
大胡城、並びに上泉城は北条氏康に降伏・開城、
その後、上泉秀綱は、かつては関東管領・山内上杉憲政の側近で、この頃は越後の長尾景虎(上杉謙信)影響下にあった箕輪城主・長野業正に仕えるようになったという。
しかし、弘治3年(1557年)、
箕輪城も甲斐・武田信玄の侵攻にさらされる事となり、
上泉秀綱も激しい戦いに身を投じて行ったのである…。
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