室町幕府6代将軍・足利義教の死に伴い、
管領・細川持之は義教の嫡男・義勝を七代将軍とした。

若干8歳だった義勝には当然ながら政治能力は無く、細川持之が実権を握っていた。

嘉吉3年(1443年)6月19日、義勝は李氏朝鮮からの使者・朝鮮通信使と会っている。

しかし、僅か一ヶ月後の
7月21日、義勝は10歳で病死してしまったという。

今で言う赤痢だったそうだ。

そして足利将軍家は益々脆弱となって行く…。


歴史は常に動いている。