報国寺(竹寺)を出た我々は、その裏手の山中に向かってひたすら歩く。
この日のメイン!
…に、なるはずだった
『釈迦堂口切り通し』に向かって。
“切り通し”とは、鎌倉時代に造られた狭い道である。
鎌倉の防衛上の理由から、敢えて狭く造られたという。
大軍が押し寄せて来ても、一気に街中に乱入させない為に。
この洞門状の切り通しを、参加者全員で潜るはずだったのだが…。
なんと!

ガッチリと緑のフェンスが立てられ、入れなくなっていたのだ!
『この先、ガケ崩れの為に云々…。』
という看板と共に…。
度重なる地震や台風によって、崩壊の危険性が高まり、人的被害が出てからでは遅いとばかりに先手を打たれたものと思われる。
ここが再び通れるようになる日は二度と来ないであろうと思いつつ、
また、この日がここを肉眼で見る事ができる最後のチャンスだったのかも知れないと話しつつ、
第三回鎌倉ツアーは幕を閉じた。
直後、急に訪れた雷雨を避けつつ、
『釈迦堂口切り通し』を歩いて潜れなかった悔しさを語りあいながら、皆と痛飲した事は言うまでも無い。
この日のメイン!
…に、なるはずだった
『釈迦堂口切り通し』に向かって。
“切り通し”とは、鎌倉時代に造られた狭い道である。
鎌倉の防衛上の理由から、敢えて狭く造られたという。
大軍が押し寄せて来ても、一気に街中に乱入させない為に。
この洞門状の切り通しを、参加者全員で潜るはずだったのだが…。
なんと!

ガッチリと緑のフェンスが立てられ、入れなくなっていたのだ!
『この先、ガケ崩れの為に云々…。』
という看板と共に…。
度重なる地震や台風によって、崩壊の危険性が高まり、人的被害が出てからでは遅いとばかりに先手を打たれたものと思われる。
ここが再び通れるようになる日は二度と来ないであろうと思いつつ、
また、この日がここを肉眼で見る事ができる最後のチャンスだったのかも知れないと話しつつ、
第三回鎌倉ツアーは幕を閉じた。
直後、急に訪れた雷雨を避けつつ、
『釈迦堂口切り通し』を歩いて潜れなかった悔しさを語りあいながら、皆と痛飲した事は言うまでも無い。