復隊した斎藤一は、“山口次郎”という変名を名乗り、
紀州藩士・三浦休太郎の護衛の任に就く。

慶応3年4月に、海援隊が伊予大洲藩から借りていた
“いろは丸”が、紀州藩の明光丸と衝突・沈没した件で、
紀州藩が多額の賠償金を支払う事になったのを恨み、坂本龍馬&中岡慎太郎を暗殺したとの噂が立ち、紀州藩公用方の三浦休太郎が海援隊や陸援隊から狙われているとの事で、
紀州藩から会津藩経由で新撰組に三浦の警護依頼が来たからである。

三浦が逗留していた天満屋という宿に、斎藤一を筆頭に7名の新撰組隊士が詰めていた。

慶応3年(1867年)12月7日、
果たして、海援隊&陸援隊士合計16名が天満屋を襲った…。


歴史は常に動いている。