芹沢鴨と平山五郎が暗殺されてから10日後の
文久3年9月26日、屯所内において
髪結い中だった御倉伊勢武(みくらいせたけ)という隊士が背中から脇差しで突かれて絶命した。

手を下したのは、斎藤一。

浪士組から会津本陣への公式発表では、長州の間者を討ったとされているのだが、時を同じくして、屯所内では数人の血が流されていた…。


歴史は常に動いている。