建武2年(1335年)7月中旬、小笠原貞宗が守護を勤める信濃国埴科郡(はにしなぐん)舟山の守護所が襲撃を受けた。

襲撃したのは、信濃の土豪・保科弥三郎と四宮左衛門太郎。

源平の合戦の折には源氏方に味方したという両者は、小笠原氏と対立していた諏訪氏に同調したようだ。

しかし保科・四宮勢は敗走してしまい、小笠原勢はこれを追撃して出たという。

この時、遂に北条時行を奉じた諏訪頼重が挙兵し、信濃国衛(こくが)を襲撃。
信濃国司・清原真人を自害に追い込んだのである。

国衛を襲い国司を自害させるという事は、
すなわち、
建武政権の後醍醐天皇に対する明確な反逆を意味する。

この時、北条時行、僅か12歳であった。


歴史は常に動いている。