対馬・壱岐を荒らし回った集団は、壱岐島分寺(本土の“国”であれば、国分寺に相当する)を襲った。

この時、島分寺は塀に囲まれていたのであろう。
ある程度は、要塞の役目を果たし、地元住民や僧侶が協力し、謎の武装集団を足止めしたようだ。

その間に、島分寺の管理責任者であった僧侶・常覚が一人脱出し、大宰府に向かい救援を求めたという。

しかし、壱岐島分寺もついに抗しきれなくなり陥落、全焼してしまった。

しかし、これでようやく大宰府に知らせが届く事となる…。


歴史は常に動いている。