文治3年(1187年)、箱根権現詣でにやって来た
源頼朝。
当時、箱根権現別当“行実”の下に稚児として預けられていた筥王丸も、当然これを見ていた。
その時、筥王丸は、源頼朝に付き従って来た御家人達の中に、片時も忘れた事の無い父(河津祐泰)の仇・工藤祐経の姿を見付けてしまったのだ。
工藤祐経は、かつては右近衛大将の職にあった平重盛に仕えていただけに、平家方に付いていたかと思いきや、弟・宇佐美祐茂が早々と頼朝の挙兵の時から源氏方に付き、富士川の戦いでは手柄を立てて伊東荘近くの宇佐美領を安堵されたとの事で、祐経もその弟に合流していたようだ。
まだ元服前の筥王丸は、仇討ちの機会を探り工藤祐経を狙うも、逆に祐経から諭され
“赤木柄の短刀”
まで授けられてしまったという。
祐経が筥王丸に何を言ったのか、詳細までは判らない。
“いつまでも恨みを引きずるのはやめよ!”
と言ったのか、
“仇を討ちたいのなら性根を据えてかかって来い!”
と言ったのか…。
この日、工藤祐経を狙った事を他の御家人や頼朝に気づかれずに済んだのは、筥王丸にとっては不幸中の幸いであった。
また、工藤祐経もこの事を他言しなかったようだ。
歴史は常に動いている。
源頼朝。
当時、箱根権現別当“行実”の下に稚児として預けられていた筥王丸も、当然これを見ていた。
その時、筥王丸は、源頼朝に付き従って来た御家人達の中に、片時も忘れた事の無い父(河津祐泰)の仇・工藤祐経の姿を見付けてしまったのだ。
工藤祐経は、かつては右近衛大将の職にあった平重盛に仕えていただけに、平家方に付いていたかと思いきや、弟・宇佐美祐茂が早々と頼朝の挙兵の時から源氏方に付き、富士川の戦いでは手柄を立てて伊東荘近くの宇佐美領を安堵されたとの事で、祐経もその弟に合流していたようだ。
まだ元服前の筥王丸は、仇討ちの機会を探り工藤祐経を狙うも、逆に祐経から諭され
“赤木柄の短刀”
まで授けられてしまったという。
祐経が筥王丸に何を言ったのか、詳細までは判らない。
“いつまでも恨みを引きずるのはやめよ!”
と言ったのか、
“仇を討ちたいのなら性根を据えてかかって来い!”
と言ったのか…。
この日、工藤祐経を狙った事を他の御家人や頼朝に気づかれずに済んだのは、筥王丸にとっては不幸中の幸いであった。
また、工藤祐経もこの事を他言しなかったようだ。
歴史は常に動いている。