大海人皇子は壬申の乱を勝ち抜き、
即位して天武天皇となる。
ただ不思議な事に、日本書紀を読む限り、この人物の生まれた年や、いつの時点で何歳だったという記述が一切無く、年齢が判らないのだ。
即位した人物の年齢が書かれず終いという事は、国家の正史としては非常に珍しい事で、日本書紀の中で他に年齢不詳のままである天皇は、蘇我馬子に暗殺された崇峻天皇だけである。
昔から、弟とされている天武天皇の方が、実は天智天皇よりも年上だったフシがある(つまり、二人は否兄弟説)…などと囁かれているが、ただし、この説には注意が必要だ。
天武天皇(大海人皇子)の生年が書かれた史書には、
鎌倉時代に書かれた『一代要記』
南北朝時代に書かれた『神皇正統記』
室町時代に書かれた『本朝皇胤紹運録』
等が有るのだが、同一書物の中ではいずれも天智天皇(中大兄皇子)の方が天武天皇(大海人皇子)よりも生年は先とされている。
ただ、それぞれの史書に書かれた二人の生年にズレがあるので、
例えば、
『神皇正統記』に書かれた大海人皇子の生年は、
『一代要記』に書かれた中大兄皇子の生年よりも前になってしまっていたりもする。
ただし、再度申し上げるが、“同一史書”の中で大海人皇子の生年が中大兄皇子の生年よりも前としている物は無い。
それを踏まえた上で、実は『日本書紀』の中にある不思議な一文から、奇想天外な、それでいて大変興味深い推理が導き出されるので、次回はそこを掘り下げてみたい。
歴史は常に動いている。
即位して天武天皇となる。
ただ不思議な事に、日本書紀を読む限り、この人物の生まれた年や、いつの時点で何歳だったという記述が一切無く、年齢が判らないのだ。
即位した人物の年齢が書かれず終いという事は、国家の正史としては非常に珍しい事で、日本書紀の中で他に年齢不詳のままである天皇は、蘇我馬子に暗殺された崇峻天皇だけである。
昔から、弟とされている天武天皇の方が、実は天智天皇よりも年上だったフシがある(つまり、二人は否兄弟説)…などと囁かれているが、ただし、この説には注意が必要だ。
天武天皇(大海人皇子)の生年が書かれた史書には、
鎌倉時代に書かれた『一代要記』
南北朝時代に書かれた『神皇正統記』
室町時代に書かれた『本朝皇胤紹運録』
等が有るのだが、同一書物の中ではいずれも天智天皇(中大兄皇子)の方が天武天皇(大海人皇子)よりも生年は先とされている。
ただ、それぞれの史書に書かれた二人の生年にズレがあるので、
例えば、
『神皇正統記』に書かれた大海人皇子の生年は、
『一代要記』に書かれた中大兄皇子の生年よりも前になってしまっていたりもする。
ただし、再度申し上げるが、“同一史書”の中で大海人皇子の生年が中大兄皇子の生年よりも前としている物は無い。
それを踏まえた上で、実は『日本書紀』の中にある不思議な一文から、奇想天外な、それでいて大変興味深い推理が導き出されるので、次回はそこを掘り下げてみたい。
歴史は常に動いている。