大同元年(806年)1月、最澄は天台教学から2人を、“年分度者”とするよう上表文を提出する。

“年分度者”とは、国家公認の僧侶として得度する、一年間の定員という意味である。

この上表は、南都六宗以外では初めて認められ、同時にこれを以って日本における“天台宗”の開宗だと言われている。


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