訂正をひとつ、前回掲載した赤いげんこつジャケットの「モジョ・ハンド」は
、Pヴァインから再発されているCDのジャケットです。あせる

あのときに話題にしたトリップというレーベルのLPジャケットはというと、ドロドロとした極彩色の油絵で、サングラスをかけたライトニン・ホプキンスの、ギターを抱えた上半身が描いてある、ある意味ライトニンの本質をよく捉えたジャケットでした。


かえる 1968年だったと思いますが、学生のころ、家賃4千円、川沿いのアパート
で、数人で飲みながらレコードを聴いてたとき、友人がラグタイムの名手ブライ
ンド・ブレイクのフィンガー・ピッキングを聴きながら曰く、「みんなおんなじ
曲に聴こえるね」「なんかお経みたいだね」とぬかしたのです。


吉瀬(きちせ)浩一郎の、R&Bなひとりごと
 今は亡き石津健介氏の主宰するVANジャケットのフアンで、

靴はコイン・ローファー、アーガイルのソックス、

すそが短かく細めのベージュのコットン・パンツ、オックスフォード地のボタンダウン・シャツ、

3つボタン段がえりフック・ベントの紺のジャケット(ネクタイはボーダーの編みタイで、なぜかいつもベルトの下ににはさんでました)・・・


という格好でアイビー・リーガーズをきどった

山田というやつでしたが、

彼がそのころ聴いていたのはブラザーズ・フォーとかキングストン・トリオでしたので、まっ、ブラインド・ブレイクの優雅でセンシティブなラグタイム・ギターの良さは分からなかったのだと思います。

というわけで、今ブラインド・ブレイクのベスト盤を聴いてます。


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2~3日前ご近所の方々と談笑していたときに、どこかで読んだ本に書いてあ
ったものを拝借して(つまり受け売りです)いろいろ話したところ、皆さん頷き
ながら聞いていただきましたので、今回その要旨をこちらに。


 百姓という誇り高い言葉の語源は食物を育てる百の行程を熟知している人々と
いう意味だそうです。

昭和30年代から約20年間続いた高度経済成長期の日本経済を支える原動力となった方々は、農村から都市へ工場労働者として就労された方々が多いことはよく知られています。


 百の行程を熟知した人々の子孫にして始めて「セル生産方式」という多くの作
業行程を一人でこなす仕事が可能であった。


そのことが日本の高度経済成長を支えたのだという説があります。
 図式的に捉えるならば、上部構造としての日本を代表する先端企業を支えてい
たのは、その裾野に広がる農村という下部構造であったという解釈です。


説に従えば百の行程を熟知するが如くに訓練された頭脳と肉体を持つ優秀な人材を供給し続けた農村によって現在の豊かな都市があるということでしょう。


 一見したところ関係性が希薄と見られがちな都市と農村には、一歩踏み込めば
このように深い関係がいくつもあることを私たちはよく認識すべきでではないで
しょうか。

 食の原点であり命の源としての農業と、農村に生活する方々に敬意をはらい国
の政策として大切にすべきではないかと思います。


農政に確たる展望もないまま、その場しのぎの政策を続けてゆき、その結果、農村と都市の有機的関係性が破壊された時、その両者は共に倒れるのではないでしょうか。


その危険性に私たちは気付き政治の軌道修正をうながし農村を守っていかなければならないと思うのですが、都市に住んでる方々はこのあたりをどのように認識されているのでしよう。
 

先日、ロシアが小麦の輸出を規制しはじめたというニュースが流れました。中
国の人口が13億人(国勢調査をやってない国なので本当はもっと多いはずです
)インドの人口が10億人、日本の自給率は40%程度と聞いています。将来、
食料はこれまでどおりお金さえ出せば外国から輸入できるのでしょうか。


テキサスのブルースマンライトニン・ホプキンスの定番レコード

「モジョ・ハンド」
吉瀬(きちせ)浩一郎の、R&Bなひとりごと


現地調達にわか仕立てのバックバンドを完全に無視して

怒涛のテキサス・ブギには毎度の事ながら「これよ、これ、これ!」てなかんじで

思わず下半身(変な意味ではありません)が動き出す、わけですわ。


 このレコードは、第二次石油シヨックのすぐ後に合衆国のTRIPというレー
ベルから再発されたもので、オイルシヨックを反映して塩化ビニールのLPレコ
ードが紙の様に薄い。

確か、この頃日本で発売されたLPもかなり薄いものだったような気がします。

オレッチの髪は幸い写真のとおり。わるいけど。(笑)

いつ頃から俺たちはあのような番組の洪水に晒されるようになってしまったん
だろうねぇ。

夜の7時台から11時近くまで、民放各局から「超衝撃」「絶対絶命」、

同じようなタイトルを冠し、毎回同じような顔ぶれが揃い、さして意味があるようにも思えない番組が延々と流される。


このような番組群を作る側の感性と、さしたる疑問も持たず受け入れる感性?

ただ3時間笑っていればいいのかもしれないけど、

「今オレは確実に無駄な時間を浪費している」と実感させてくれる(笑)

あの居心地の悪さを何て表現したらいいんだろうね。


そう感じるのはオレッチの年代だけなんだろうか?

報道を担う現場の方々の多くは報道されない重要な事象、もしくは電波に

乗せるべき「崇高な精神」があることを理解していないはずはないんだけどねぇ。

いずれにせよ現在の状況から判断するに、制作者サイドの安易安直とそれを許す

何かがあるということだけは間違いないような感じ。


こりゃー「げすの勘繰り」かな(笑)穿ち過ぎかもしれないけど、ありていにいえば

「ジジイが苦々しく思っている」ということとは少し違う感覚、視聴者を一定の方向へ

誘導する(お茶の間の総白雉化?)明確な意図や目的が存在するとまでは

言わないけどねハハハハハ ある種の猜疑心。


しかし、うっかり制作者のココロザシが低いなんて言えば「それでは、志の高い

あなたは何をされているんですか」と返ってくるのが落ちなんだよね。フフフ

 「言葉には気をつけたほうがいい」ということでしょう。と、

逃げ道をつくってますねぇ、、、「番組ジャンク化の本質が知りたい」なんて

オヤジが愚痴をこぼしてる(事実そうなんだけどね)ような感じになってきたので(笑)


このへんでやめます。


吉瀬(きちせ)浩一郎の、R&Bなひとりごと-オーティススパン
ミシシッピ出身、シカゴで活躍したブルースマン、オーティス・スパンの1960年代に録音されたピアノ・ブルースを聴きながら思ってる。

このごろ、若い人たちと話をしていると高給取りの政治家はいったい何やってるんだろうと思う。長く続いた政治家と官僚のなれあいの果て、気が付いたら日本の借金は2010年度末で937兆円になるらしい。

ずーっと不況が続いてる。学校を出ても就職できない。派遣で繋いでがむしゃらに働いても生活はちっとも楽にならない。当然結婚なんてできるわけがないから少子高齢化と年金問題の解消なんてとても無理。それに、65歳で年金貰えるのはまだまだ先のこと。

つい此間まで漠然と「老後は楽にいきたいよね」なんて思ってたけど事はそう簡単じゃないことがこのごろ解かってきた。




で、周りを見ると「老いも若きもなんとなく先が見えないまま、このまま行けばどうも4,5年先にはハイパー・インフレが来るらしい。ハイパー・インフレ、例えば、我々の持つ、なけなしの100万円の預金が10万円の価値しかなくなるとしたら。

財務省主導で導入が検討されているらしいといわれている消費税10%どころの話じゃなくなるよね。

いよいよ日本の財政破綻が現実味を帯びてきたらしい。日本人がこのまま指をくわえて財政破綻まで何もできないなんて思いたくないけど、与野党それぞれ相手を非難してるだけじゃどうしょうもないよね。

これまでずっと「できることなら関わりたくない」と思ってきた政治や経済にイヤイヤながらも関心を持たざるをえなくなったような気がする昨今です。


 う~ん、本当の気持ちを言わせてもらえば政治や経済は金儲けに感心のあるひとたちにおまかせして、我々は楽しく日々を送らせて頂くというのが最高なんだろうけど、でも、無関心のまま、いつのまにか住みづらいとんでもない世の中になるというのもまっぴらだし、さて、どうしたものかと考えあぐねている今日この頃です。

おっと、LPレコードのA面が終わったみたいなので、続きはまた次回ということで。