釈尊の生まれから伝道まで(続き) | 吉祥院 ~茨城県石岡市(旧八郷町)で約900年続く真言宗豊山派のお寺ブログ(お坊さんのことば)~

吉祥院 ~茨城県石岡市(旧八郷町)で約900年続く真言宗豊山派のお寺ブログ(お坊さんのことば)~

茨城県石岡市にある真言宗豊山派の摩尼山吉祥院です。
ふるさと茨城路百八地蔵尊霊場第九十一番札所に指定されており、
開山約900年の歴史を持つ由緒ある寺です。
境内の四季折々の風情や仏教について、幅広い情報を発信するお寺ブログです。

釈尊が菩提樹下で成道し、その後

ヴァーラーナシー(ベナレス)で行った

最初の説法(初転法輪)の主たる内容は

「四諦」であったとされています。

その相手は、かつて苦行をともにした

5人の比丘(修行者)でした。

彼らは、釈尊が苦行を捨てたことに

軽蔑の念をもっていました。

 

釈尊は、

苦:「これは苦である」

集:「これは苦の生起である」

滅:「これは苦の滅尽である」

道:「これは苦の滅尽に至る道である」

という4つの命題を5人の比丘たちに

対して述べ、さらにこれらに対して

説明を加えていきました。

 

簡単に説明すると

1つ目は、生老病死の四苦などで

示されるような、人間の生きている限りに

感じる苦しみに関してのことです。

この世界には常なることはないにも

かかわらず、人は常なることを追い求めます。

それが得られない苦しみや不安が、

われわれに重くのしかかっている

ということを表現しているのです。

 

2つ目は、そのような苦しみの原因を

示すものです。

何が原因で苦が生じるのかということへの

回答であり、仏教はそれを「渇愛」などの

語によって教えてきました。

「渇愛」とは、激しい欲望のはたらきを

意味し、それによって人間に

苦しみが生まれると、

仏教では説くのです。

 

3つめは、その苦の原因を滅する方法を

述べるものです。

仏教以外では、ある思想家は、来世に向かって

常楽の世界を想定し、またある者は、

この世に財宝や地位を求めることに

専念しました。

あるいは、禁欲主義を主張し、

実践する者もいました。

人生における苦を取り除く方策は

仏教以外でも様々に

思索されてきました。

 

4つ目は、その具体的実践に

関するものです。

仏教では、八正道という形で

表現されています。

正見・正思・正語・正業

正命・正精進・正念・正定の8つですが

これは、総括すると「中道」の実践に

尽きるとされます。

 

この八正道、中道を実践することで

苦を滅尽し、解脱することができる

ということを、釈尊は初めての説法で

説いたのです。

この内容は、後の伝道の中でも

一貫して説かれたものです。

 

ただ、弟子たちは、このような真理を

語られてもすぐには納得しなかったようです。

具体的にはわかりませんが、

何日かかかってそれの理解に至ったと

考えられています。

 

ある経典には

釈尊が2人の比丘に説明している時は

3人の比丘は托鉢をし

それによって得られたものでみなが生活し

また、3人の比丘に教えている時は

2人の比丘が托鉢をしていたと

説かれています。

 

このようなことから

初転法輪が通常の説法というのではなく

討議や研究というに相応しいことを

示しているといいます。

釈尊が4つの命題を語り、それを

討論することによって、ついに

コーンダンニャという1人の弟子が

それを理解しました。

 

その時、釈尊は「コーンダンニャは悟った」

といって喜びました。

その後、他の4人も同様に理解に至りました。

これが初転法輪の状況と考えられます。

 

5人の比丘もその時代の出家修行者であり

思想家でした。

その場は、単なる説法者とその聴聞者の

関係ではなく、討論、思想的な対決の場で

あったようです。

 

かくして、釈尊の説く真理は受け入れられ

仏法の建立に至ることとなりました。

こうして、釈尊を含めた6人の比丘による

仏教教団が成立し、インド各地に

釈尊の教えが広まっていったのです。

 

 

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今年のブログは以上で終わりになります。

良いお年を……