仏教ではわれわれのこの世界は
煩悩に満ち溢れていると考えます。
ものごとがうまくいかないときは
不満や不安を感じ、怒りを抱くこともあります。
これらはすべて自らの心によるもの
だと仏教では考えます。
迷いや怒りがあると、他人の言葉を
素直に受け入れられなくなったり
誤った行動をしたりと、正しい心の
はたらきが妨げられます。
煩悩は、正しい心のはたらきを妨害し、
われわれを煩わせる原因となります。
これによって心の汚れはどんどん
増大していくのです。
代表的な煩悩は、三毒といわれる
貪・瞋・癡や、その他にも疑や慢というのもあります。
貪は、貪欲といい、必要以上に
ものを追い求めてしまうことです。
瞋は、瞋恚といい、思い通りにならないときに
怒ってしまうことです。
癡は、愚痴あるいは無明のことで
ものごとを正しい目で見ることができないことです。
仏教では、こういった煩悩を消して
心を安定な状態にすることを目指し
修行者は、煩悩を消すために戒律を守って
生活し、瞑想などの行を行うのです。
また、煩悩に溢れたこの世界は
此岸(しがん)ともいいます。
それの川を挟んだ向こう側が彼岸(ひがん)です。
彼岸は涅槃ともいわれ、煩悩が消えて
心の乱れが全くない寂静の境地です。
お釈迦さまは厳しい修行では至ることが
できなかったこの境地に
菩提樹の下での瞑想修行によって
ようやく到達したとされています。
ここに至るまでには長い間
苦行などの様々な修行を行ったとされます。
最後の瞑想も相当高度なものであったと
想像できます。
お釈迦さまのように完全に煩悩を消すことは
非常に難しいことです。
しかしそこまでではなくても
煩悩を少しずつなくしていくことは
誰でもできることです。
人間は生まれながらにして本能的に
何かに執着し、それが思い通りにならなければ
心が乱れ、汚れていきます。
それは本能的なものですから、仕方がないのですが
それを野放しにするのではなく
自らの心が汚れていかないように意識し
コントロールしていくことによって
日々感じている不安や不満、怒りなどを
抑えていくことができると思います。