弘法大師空海は、『即身成仏』という書の中で
次のように言っておられます。
「加持とは、如来の大悲と衆生の信心とを表す。
仏日の影、衆生の心水に現ずるを加といい
行者の心水、よく仏日を感ずるを持と名づく。
行者、もしよくこの理趣を観念すれば
三密相応するが故に、現身に即疾に
本有の三身を顕現し証得す云々。」
空海によれば、「加持」は
絶対者の偉大な慈悲のはたらきと
われわれの信じる心が一つとなることだと
されます。
絶対者による光の影がわれわれの心の水に
映るのを「加」といい、われわれの心の水が
絶対者の光の影を映しとることを「持」といいます。
これを観想することができれば
絶対者とわれわれのすべての行いが完全に
相応するから、この肉体のままで直ちに
絶対者の智慧を得ることができるというのです。
仏や神のような存在による加持祈祷というのは
一般的には、迷信とされることが多いですが
このように考えれば、単なる迷信では
ないことがわかります。
仏の超能力に頼るだけでなく
仏から発せられる何らかのものを
われわれ自らが感じ取らなければならないのです。
そして、それが達成されることで
仏の智慧を得られるのです。
つまりこの身のままで成仏です。
しかし、それは簡単なことではなく
密教の独自の三摩地、
非常に深い瞑想を行うことが
必要であるとされています。