日本で唱えられているお経は
ふつうには漢文で書かれています。
インドで製作されたものが
シルクロードを通って、中国に流布し
漢訳された後、それが日本に
もたらされたからです。
熱心な檀信徒の方であれば
毎日仏壇に向かって
あるいはお寺に参拝し
経をあげているかもしれません。
しかし、一般の人にとっては
お経に触れる機会といえば
葬儀や法事のときくらいかと思います。
お経は仏教における聖典で
仏陀が説いた教えを記述したものです。
最初、お釈迦さまが入滅した後の
弟子たちの集会の中で
その教えを正しく伝承しようと
互いに口頭で教えの内容を確認しました。
その当時は弟子たちの記憶によって
保たれていました。
それがパーリ語やサンスクリット語で
経典として残されるようになりました。
やがて大乗仏教が興り、仏教が拡大するなか
経典の数は増え、「八万四千の法門」と
いわれるほどの膨大な種類の経典が
作製されました。
八万四千というのは
無数とか一切のという意味で用いられ
他にも八万四千の煩悩というような
言い方もされます。
また、お経を声に出して唱えること
すなわち読経は、本来は
経の内容を理解し、記憶して
それを広めることを目的としていましたが
大乗仏教では読経そのものに
宗教的意義を認めるようになり
経を読むこと自体が功徳になる
と考えるようになりました。
葬儀や法事で読経するのは
そういった理由があるからです。
また、読経は亡くなった方だけでなく
遺族や参列者が功徳を積むことにも
つながります。
経の内容を正確に理解できていなくとも
あるいは、唱えられなくとも
亡者への思いや、仏教への信仰心を
読経する僧侶に乗せることで
功徳を積むことができるとされています。
一般の信者にとっては
このようにして仏教への帰依を
深めていくことが良いではないかと
思っている次第です。