ありのままを捉える | 吉祥院 ~茨城県石岡市(旧八郷町)で約900年続く真言宗豊山派のお寺ブログ(お坊さんのことば)~

吉祥院 ~茨城県石岡市(旧八郷町)で約900年続く真言宗豊山派のお寺ブログ(お坊さんのことば)~

茨城県石岡市にある真言宗豊山派の摩尼山吉祥院です。
ふるさと茨城路百八地蔵尊霊場第九十一番札所に指定されており、
開山約900年の歴史を持つ由緒ある寺です。
境内の四季折々の風情や仏教について、幅広い情報を発信するお寺ブログです。

仏教では、その昔ブッダの頃から、

心に沸く欲望を滅するプロセスが説かれています。

 

 

人はそもそも欲望を求め楽しんでしまう生き物で、

なにも気にせずいると

人の感情は欲望を持つ方向に動きます。

 

しかし、その欲望があるからこそ、

人は苦しいのです。

いわゆる四苦八苦です。

 

 

欲望が沸いてしまう理由のひとつに、

「物事をありのままに捉えることが出来ない」

という私たちの特徴があります。

 

例えば、餅を見れば

「ただの白い柔らかい物体」を通り越し、

食べたいという欲が発生します。

 

なぜなら、

今までの経験・知識・感覚によって

見た物事(ただの白い柔らかい物体)から

欲望の対象となる観念(もち)を作り上げ

執着してしまうからです。

 

 

話は変わりますが、

現在のAI開発技術のひとつに

画像認識があります。

 

AIが画像認識するには、

 

例えばAIが犬を見て

「これは犬だ」と認識しなければならず、

 

そのためには、沢山の犬の写真を見せ

犬の特徴を覚えさせなければなりません。

 

 ・目が二つ

 ・耳が上

 ・4足歩行

   ・

   ・

   ・

といったように特徴を覚えさせなければ

AIは犬を犬と認識できず

ただの色の集合体と捉えるのです。

 

 

さて、この話、

始めにお話しした仏教の話とは

逆行している気がしますよね?

 

私たちが欲望を滅するためには

むしろAIのような

「物事をありのままに捉える」ことが

必要なのです。