渇愛について | 吉祥院 ~茨城県石岡市(旧八郷町)で約900年続く真言宗豊山派のお寺ブログ(お坊さんのことば)~

吉祥院 ~茨城県石岡市(旧八郷町)で約900年続く真言宗豊山派のお寺ブログ(お坊さんのことば)~

茨城県石岡市にある真言宗豊山派の摩尼山吉祥院です。
ふるさと茨城路百八地蔵尊霊場第九十一番札所に指定されており、
開山約900年の歴史を持つ由緒ある寺です。
境内の四季折々の風情や仏教について、幅広い情報を発信するお寺ブログです。

欲望が執着を引き起こし、

それから苦しみが生まれると仏教では考えます。

したがって、欲望を抑えることは

仏教修行において重要です。

 

その欲望の背後には、「渇愛」とよばれる、

対象に対する強い欲があると考えられました。

この渇愛は、四諦説における集諦(苦の原因がある)

とされるほか、

十二支縁起では、第八支に置かれます。

 

渇愛はまた、3種類に詳しく分類されます。

1.欲愛…日常生活における物事への欲求

2.有愛…生存に対する欲求。現世でも来世でも

善い生を送ろうとする欲求。

3.無有愛…生存に対して意義を見出さず、

あえて生存を絶やそうとする欲求。

これらは、真理を知らない無明であるとされています。

 

渇愛と無明は、どちらも輪廻する生存の原因ですが、

理論化する中で、真理を知らないという無明が

より重要視されていきました。

 

その結果、十二支縁起説では、

無明が輪廻の基本的な原因として

位置づけられたといわれます。

 

無明であることから、認識が生まれ、対象に執着し、

欲望を抱く(渇愛)とみなされました。

実際に、本能的な欲望である渇愛があっても、

それを正しい智慧によって苦しみを生じないように

していくことが仏教の実践道の肝要といえます。