欲望が執着を引き起こし、
それから苦しみが生まれると仏教では考えます。
したがって、欲望を抑えることは
仏教修行において重要です。
その欲望の背後には、「渇愛」とよばれる、
対象に対する強い欲があると考えられました。
この渇愛は、四諦説における集諦(苦の原因がある)
とされるほか、
十二支縁起では、第八支に置かれます。
渇愛はまた、3種類に詳しく分類されます。
1.欲愛…日常生活における物事への欲求
2.有愛…生存に対する欲求。現世でも来世でも
善い生を送ろうとする欲求。
3.無有愛…生存に対して意義を見出さず、
あえて生存を絶やそうとする欲求。
これらは、真理を知らない無明であるとされています。
渇愛と無明は、どちらも輪廻する生存の原因ですが、
理論化する中で、真理を知らないという無明が
より重要視されていきました。
その結果、十二支縁起説では、
無明が輪廻の基本的な原因として
位置づけられたといわれます。
無明であることから、認識が生まれ、対象に執着し、
欲望を抱く(渇愛)とみなされました。
実際に、本能的な欲望である渇愛があっても、
それを正しい智慧によって苦しみを生じないように
していくことが仏教の実践道の肝要といえます。