念仏の信仰 | 吉祥院 ~茨城県石岡市(旧八郷町)で約900年続く真言宗豊山派のお寺ブログ(お坊さんのことば)~

吉祥院 ~茨城県石岡市(旧八郷町)で約900年続く真言宗豊山派のお寺ブログ(お坊さんのことば)~

茨城県石岡市にある真言宗豊山派の摩尼山吉祥院です。
ふるさと茨城路百八地蔵尊霊場第九十一番札所に指定されており、
開山約900年の歴史を持つ由緒ある寺です。
境内の四季折々の風情や仏教について、幅広い情報を発信するお寺ブログです。

念仏による浄土信仰は、

平安時代の後期に盛んになりました。

念仏というのは、

ブッダやブッダの世界を

修行によって観想することが本来の意味で

そのための精神集中の方法が

中国で考え出されました。

 

特に天台宗における浄土教信仰は

後の念仏信仰に影響を与えました。

そこでは、阿弥陀仏の名を唱えながら、

本尊の仏像の周りを回る

常行三昧が行われていました。

 

また、天台僧源信は、

『往生要集』を著し、それを指南とした

念仏結社が生まれました。

 

この時代、貴族たちが仏に対して

政治的な病気平癒といった個人的な祈りや

死後の浄土への往生を願うことで

仏教は栄えたとされますが、

一方で、僧兵が現れるなど、仏教界は堕落していき、

社会的な不安が募っていたといわれます。

 

さらに、1052年には末法の時代に入ったといわれました。

末法とは、正しい教えのみが残り、

人がいくら修行に励んでも悟りを得ることは

不可能だと考える時代のことです。

この末法の世を救う教えとして浄土教が急速に

広まったともいわれます。

 

また、源信より前には、市の聖と呼ばれた空也が

死霊や霊魂の鎮魂を願うための踊念仏を行っていました。

この踊念仏は、後に一遍によって

時宗の中で浸透し、引き継がれました。

 

京都の六波羅蜜寺には、

口から6体の小さな阿弥陀仏を出す空也像があり、

そこからは空也が民間を遊行し歩いていたことが

窺えるといわれます。

このような阿弥陀仏の浄土に往生する信仰は、

後には南都仏教や真言密教にも影響しました。