仏像の誕生 | 吉祥院 ~茨城県石岡市(旧八郷町)で約900年続く真言宗豊山派のお寺ブログ(お坊さんのことば)~

吉祥院 ~茨城県石岡市(旧八郷町)で約900年続く真言宗豊山派のお寺ブログ(お坊さんのことば)~

茨城県石岡市にある真言宗豊山派の摩尼山吉祥院です。
ふるさと茨城路百八地蔵尊霊場第九十一番札所に指定されており、
開山約900年の歴史を持つ由緒ある寺です。
境内の四季折々の風情や仏教について、幅広い情報を発信するお寺ブログです。

釈尊は、35歳で悟りを開き、80歳で亡くなりましたが、

その間の姿を有余涅槃といいます。

そして亡くなった後(入滅後)を完全なる悟りとして

無余涅槃といいます。

入滅こそが、苦に悩まされる輪廻からの

完全な解脱であるとされたのです。

 

入滅した後は、完全なるブッダとなったのでその姿を

見ることはできず、形に描くこともできないとされました。

したがって当時すぐに、

仏像などが製作されることなどはなく、

その代わりに菩提樹や法輪で象徴されました。

 

それが時代を経て紀元1世紀頃になると、

ガンダーラ(現在のアフガニスタン東部からパキスタン北西部)や

中インドのマトゥラーで仏像が造られ始めたとされます。

 

ガンダーラの仏像は、

ギリシャやローマ美術からの影響が強く、

それらをガンダーラ美術といいます。

一方で、マトゥラーの仏像は、ギリシャ的な影響は見られず、

純粋なインド文化の中で生まれたものと考えられます。

 

仏像が製作されるようになってからは、

人間の形をしたブッダの前で供養が行われたり、

ブッダをイメージする瞑想が行われるようになりました。

 

また、仏像は経典に説かれる三十二相という

特徴を備えた形で描かれます。

 

毛上向相(髪の毛が上に向き、右に巻いている)、

足下二輪相(足の裏に法輪が刻まれている)、

頂髻相(頭頂に隆起した肉髻)や

白毫(眉間にある代白毛)などです。

 

仏像が出現したことによって、仏教徒の礼拝や

瞑想方法に変化が見られたのみでなく、

それ以降の仏教徒以外のインド美術にも

大きな影響が見られるようになります。

 

また、仏像が造られ始めた当初は、

お釈迦さまの像に限られていましたが、

大乗仏教の発達によって、

阿弥陀や薬師、毘盧遮那仏といった

様々な仏さまも生み出されていきました。

 

(続きあり)