一切皆苦 | 吉祥院 ~茨城県石岡市(旧八郷町)で約900年続く真言宗豊山派のお寺ブログ(お坊さんのことば)~

吉祥院 ~茨城県石岡市(旧八郷町)で約900年続く真言宗豊山派のお寺ブログ(お坊さんのことば)~

茨城県石岡市にある真言宗豊山派の摩尼山吉祥院です。
ふるさと茨城路百八地蔵尊霊場第九十一番札所に指定されており、
開山約900年の歴史を持つ由緒ある寺です。
境内の四季折々の風情や仏教について、幅広い情報を発信するお寺ブログです。

以前、このブログで、

人間が生きている世界について、

ブッタは四法印と説いたと記しました。

(詳細は「四法印(しほういん)」をご覧ください。)

 

そのうちのひとつ、「諸行無常」、「諸法無我」については

先日記した通りです。

(詳細は「諸行無常」、「諸法無我」をご覧ください。)

 

本日は、3つめを飛び越え

4つめの「一切皆苦(いっさいかいく)」について、

記したいと思います。

 

 

一切皆苦とは、字の通り

「すべてのものは苦しみである」

という教えです。

すべてのことは思い通りにならない

という人生の実態を示しています。

 

「一切」とは、自己中心性がもとになって生まれた

感情・行動・考え方を示しています。

 

このような感情・行動・考え方ゆえ、

結果として、人を傷つけたり

人に迷惑をかけてしまうことになり

最終的には自分が苦しくなってしまいます。

 

諸行無常諸法無我とあわせて、

迷いの世界における在り方を示しており、

物事は常に移り変わっており、

それ自体で独立して存在していることはないのに、

ずっとあり続けると錯覚して執着してしまうので、

苦を招く。

 

ブッタは、このような迷いから抜け出すことが

人生において重要としています。

 

 

ふと、改めて考えてみると

ずっとあり続けると思っていることは多々あります。

 

所有物、名誉、人間関係、家族、自分・・・

これらが永遠にはあり続けないと考えるのは、

少し淡白な気がします。

 

しかし、

「あって当たり前」というフィルターを外すと

物事の本来の姿が見えてきます。

それは、煩悩から導かれる苦とは程遠く

その存在自体がありがたいものなはずです。

 

「物事に期待しない方が、結果としていい」

というのは、

「あって当たり前」というフィルターを外す手軽な方法が

「期待しない」ということです。

 

決して淡白なのではなく

むしろ、物事の本来の姿を知るための考え方

なのかもしれません。

 

 

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