人間が生きている世界について、
ブッタは四法印と説きました。
(詳細は「四法印(しほういん)」をご覧ください。)
そのうちのひとつ、「諸行無常」については
先日記した通りです。
(詳細は「諸行無常」をご覧ください。)
本日は二つ目の教え、
「諸法無我(しょほうむが)」について
記していきたいと思います。
「法」は、生じては滅する存在、ものを示します。
「無我」とは、実体がないことを指しています。
つまり、
「諸々の存在に、恒常不変の実体はない」
という意味です。
生けるものは独立しておらず、
常に依存し合っています。
私たちは、ひとりでは存在出来ません。
様々なものと連鎖し依存し合い生きているのです。
よって、常に移り変わる連鎖の中で存在している我々は
常に同じ姿でいることはなく、
相互作用によって姿・形を変えるために
個としての実体はありません。
鴨長明によって鎌倉時代に書かれた方丈記は
以下の有名な冒頭文によってはじまります。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし。
(方丈記より引用)
〈現代語訳〉
流れゆく河の水の流れは絶えて無くなることがないが、
それでいて、流れる水の一つ一つは同じ水ではない。
水の流れが止まっている所に浮かぶ泡は、
一方で消え一方では新しくできて、
一つの泡が長くとどまっている例はない。
この文は、仏教の四法印の考えが
含まれているといわれています。
水の流れが止まっているところに浮かぶ泡は
消えたり新しくできたり融合したり・・・
水や泡同士との相互作用で存在しています。
まさにそれこそ諸法無我です。
我々も、この水や泡の如く相互作用し合い生きています。
お互いに「生き」「生かされ」ていることを忘れず、
「おたがいさま」ととらえることで出来る解決もあるのです。
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