惜別球人2024(随時更新) | かものはしの口遊〜くちずさみ〜

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島根から札幌に来て18年目。相方、娘に猫(雌)も加わり、居場所が徐々に奪われていく様子を口遊みます

【福岡ソフトバンクホークス】

 

・澤柳亮太郎

明学東村山高、明治学院大、ロキテクノ富山のすべてで初のプロ野球選手。開幕一軍を勝ち取り、プロ初勝利を挙げるも、8月に有原のKOの後で投げた際に右ひじを痛めて緊急降板。トミージョン手術を受けて、育成契約へ。育成からの復活を期す。

 

 

【北海道日本ハムファイターズ】

・鍵谷陽平
北海道七飯町初のプロ野球選手にして、日ハムの北海道移転後初の道産子の勝利投手。先日の東京六大学選抜戦での斎藤佑樹氏のファーストピッチで捕手を務めたのが生での見納めになった。引退試合ではドラフト同期の大谷翔平が映像出演したが大谷の最後の同期。奥様はモデルの青谷優衣さん。

 

 

【千葉ロッテマリーンズ】

 

・東條大樹
JR東日本から2位の関谷亮太に続いて4位でロッテに入団。19年は4月にプロ野球タイの1イニング4被弾を喫するも、5月5日にアスリートフードマイスターの資格を持つ女性と結婚すると20日後にプロ初勝利を挙げて波に乗り、「ヤバスラ」を武器に12イニング連続無失点など中継ぎに定着。22年には監督推薦で初のオールスター出場が決まるも、コロナ感染で出場辞退。昨年は初のセーブも記録。もう吉井監督が「東條、登場」とは言わないのか。

 

・秋山正雲

小柄ながら躍動感のあるサイドスローの二松学舎大付属のエース。同じく小柄なOBの大江竜聖に倣い「大江2世」と呼ばれ、かつての小島の背番号を引き継ぐも一軍登板なくわずか3年で戦力外。関羽と趙雲から「雲」の字を貰った以上、この程度では終われない。

 

・本前郁也
北翔大から初のプロ野球選手。育成で指名を受けるも翌年には支配下登録を勝ち取ると、佐々木朗や横山を追い抜き19年のドラフトでロッテに入団した投手の中で最初となる初登板初勝利を挙げた。今年春の練習試合で登板中に左上腕骨骨幹部骨折の重傷を負い、そのままシーズンを棒に振った。

 

・森遼大朗

都城商では3年夏の大会後に膝を全治6か月の故障を負うも、育成でロッテが指名。4年目に美馬に弟子入りすると投球術とフォークに磨きがかかり二軍で最多勝を獲得し支配下登録を勝ち取り、昨年はプロ初勝利。解説の岩本勉氏も「美馬を見ているみたい」とその投球を称賛した。

 

・二保旭
行橋市初のプロ野球選手。08年に育成で入団すると12年にはファームで11勝0敗と無双し支配下登録を勝ち取るも一軍定着出来ず中谷とのトレードで阪神へ。昨年戦力外になり、育成でロッテに入団し支配下を勝ち取り3年ぶりに一軍マウンドに立つも、2年連続戦力外。。二軍で最多勝と最多セーブを獲得した稀有な投手。球界屈指のクイック技術は吉井コーチの修士論文の題材にもなった

 

・菅野剛士
東京都府中市初のプロ野球選手。顔が似ているという理由で渾名は「ポニョ」。一昨年は2日連続を含むチーム唯一の安打を3試合で放つなど隠れたノーヒッターキラー。昨年育成契約になり支配下を勝ち取るも再び戦力外に。今後ロッテがノーヒットノーランを食らったら菅野を戦力外にしたせいであろう。同じ東海大相模出身の菅野智之がメジャー挑戦を表明した今、菅野じゃない方の菅野など言わせない。

 

 

【東北楽天ゴールデンイーグルス】

 

・高田孝一

初登板のプロ初先発では2/3回16球で真砂の頭部死球により、パリーグ初の初登板初先発での危険球退場。1年目には二軍で最多奪三振、2年目には最多勝、防御率、勝率で2軍で投手三冠に輝くも、一軍登板17試合未勝利で戦力外。

 

・桜井周斗
高校時代は怪物・清宮幸太郎を5打席連続三振に仕留め一躍注目を浴びた清宮キラー。1年目のオープン戦では石井琢朗以来の球団高卒投手勝利を記録。阿部慎之助の引退試合で2イニングながら初先発し無安打無失点など成長を見せるも、現役ドラフトで楽天に移籍するも未勝利のまま戦力外。U-18 では清宮の後の5番を打った打撃力も魅力。

・吉川雄大

名前の読みは「かずき」。姉はロックバンド「めちゃめちゃトランクス」のボーカルMAIKO。広陵高時代にバッテリーを組んでいた太田光がプロ入りした際に作った曲でメジャーデビュー。吉川もプロ入り後、めちゃトラの曲を登場曲に使用するも、もっと球場に響かせたかった。

 

・清宮虎多朗

苗字の読みは「せいみや」。育成でプロ入りすると、トミージョン手術から復帰後に抑えに転向し二軍で最多セーブを記録。今年ようやく支配下登録を勝ち取ると則本の二軍降格と入れ替えで昇格し、3試合に登板するも則本の復帰と入れ替えで降格し戦力外。待望の清宮幸太郎との対戦が果たせない今、このままでは終われない。


【大阪オリックスバファローズ】

 

・比嘉幹貴
コザ高校出身唯一のプロ野球選手。故障するまでは佐藤達、岸田、平野と共に勝利の方程式を担い、34試合連続無失点というパリーグ記録を樹立。岡田監督から牽制が12球団一上手いと言われた。これだけ投げて暴投0は立派。日本シリーズでは救援で史上最年長勝利。「ビールかけの比嘉」をもう一度見たかった。

 

・村西良太
津名高から33年ぶりのプロ野球選手。球団21年ぶりとなる新人開幕ローテ入りを果たすも満塁本塁打を打たれ、以降はリリーフで登板。サイドスローから中嶋監督の助言でアンダースローにすると二軍で最優秀防御率を獲得するも、一軍では通算56回8被本塁打。

 

・前佑囲斗
甲子園で170球を投げぬいた剛腕は津田学園高の先輩・SKE46の斉藤真木子が劇場支配人になった年に同校から直接プロ入りした初の支配下選手に。山本由伸の背番号43を受け継いで期待されるも一軍登板わずか2試合で戦力外。こんなイケメンの放出をオリ姫たちは許すまい。

・河内康介

聖カタリナ高から初のプロ野球選手。ドラフト2位で入団し、山崎颯一郎の背番号を引き継いだ「伊予の吉田輝星」も、トミージョン手術を受けてわずか1年で育成契約へ。手ぶらで引退するわけにはいかない。


・安達了一
榛名高校出身初のプロ野球選手。16年には国指定の難病・潰瘍性大腸炎で緊急入院するも復帰すると同年に自身初の月間MVPを獲得し復活した。なにわ男子の入場曲を使う縁で特注グローブを送るなど愛称で呼び合う仲。今年はパリーグ記録の1イニング3失策を記録し、引退を決意。

 

・宜保翔
KBC学園未来高等学校沖縄初のプロ野球選手。走攻守揃った二刀流で「沖縄の根尾」と名を馳せた。初安打は内野安打がリクエストで内野ゴロに覆り、およそ半月後にやはりリクエストの末「二塁打と走塁死」で記録。昨年は62試合に出場も今年はオープン戦で白井塁審と交錯し右肩を損傷しシーズンを棒に振った。育成契約からの復活を期す。

・T-岡田
浪速のゴジラこと岡田貴弘も浪速四天王のしんがりでついに引退。王貞治以来と48年ぶりとなる22歳で本塁打王を獲得するもそれが唯一の打撃タイトルに。なにわ男子の藤原丈一郎が一番好きな選手と明言し、引退セレモニーでもサプライズで登場し、号泣で花束贈呈を行った。奥様は俳優の升毅の姪で元モデルのますあやさん。

 

・小田裕也
守備、走塁のスペシャリストとして活躍し、昨年FAを行使せず残留したオリックスで引退を決意。福山雅治似のイケメン枠として人気を誇るも結婚してオリ姫が離れていったとか。21年のCSではシーズン1安打ながら9回裏に意表を突くバスターを決めてサヨナラで劇的な日本シリーズ進出を決めた。




【埼玉西武ライオンズ】

 

・浜屋将太
鹿児島・樟南高では県大会決勝で鹿児島実に延長再試合の末で勝利を収めた時のエース。社会人を経てドラフト2位で入団も先発で通算4勝。くるぶしの故障で手術に踏み切り、今年は3年ぶりの一軍登板も果たしたが完全復活は果たせず戦力外。19年ドラフトの上位がわずか4年でいなくなってしまった。

 

・増田達至

柳学園高等学校初のプロ野球選手。外れ1位の競合の末、西武に入団すると史上7人目となる100セーブ100ホールド、最多ホールドと最多セーブの両タイトルを獲得するなど球団記録の194セーブを記録した守護神も、200セーブを目の前にして引退を決意。

 

・大曲錬

福岡大では準硬式野球で通算35勝4敗。球速の出ない準硬式で154キロを記録し、4年次はプロを見据えて硬式でも練習し、ついにプロ入りを果たした「準硬式の星」。プロでは年々登板数を増やすも今年は一軍登板無く戦力外。

 

・高木渉
校名が九州工業から誠颯館高等学校になって初のプロ野球選手。同姓同名の声優が朝ドラデビューした年に育成から支配下デビュー。声優のみならずドラマにも進出する高木渉に知名度で負けないくらいの活躍を見せたい。

・岡田雅利
大阪桐蔭では中田翔とバッテリー。同校の後輩、森友哉がドラフト1位で選ばれた13年ドラフトの6位指名。二番手捕手として控えながら森の指導役もこなし、炭谷がFA移籍をした際には正捕手となった森を裏から支え続けた。バント成功率9割を誇るバントの神様もついに引退を決意

・金子侑司
8年連続2桁盗塁を記録し、盗塁王を二度獲得した西武のスピードスター。交際が噂された三田友梨佳アナが結婚した年から盗塁数が激減。同一球団で1桁の背番号を3つもつけた稀有な選手もついに引退。

 

・陽川尚将
巨人の育成を蹴って進学し、阪神にプロ入りというアンチ巨人の期待を一身に受けプロ入り。育成を辞退した後にプロ入りした初のケース。プロ入り後は二軍で二年連続打点王と本塁打王を獲得し、現役ドラフト1期生として西武に移籍するも戦力外に。これで巨人が獲得したら面白いのだが。元ソフトバンクの下沖とは親戚。

 

・タイシンガー・ブランドン・大河
旧石川市(現うるま市)唯一のプロ野球選手。父がアメリカ人。沖縄の高校から「一番離れた学校に行こう」と北海道オホーツクの大学に進学するも寒さには四年間慣れなかったようだが首位打者を3期獲得し主将としても活躍。西武に入団すると3年目には球団では山川以来となる初安打が本塁打。昨年育成契約となり今年支配下を勝ち取り開幕一軍を掴むもまさかの2年連続戦力外。

 

 

【読売巨人ジャイアンツ】


・髙橋優貴
ひたちなか市初のプロ野球選手。北東北大学リーグ奪三振記録を引っ提げ、外れ外れ1位で入団すると球団59年ぶりとなる大卒新人投手初登板初勝利を記録。21年はリーグ最多26度の先発でチームトップの11勝を挙げるも翌年には育成契約。すぐ支配下を勝ち取るも通算18勝。巨人通算6シーズンで5度背番号が変わった稀有な選手。

 

・鈴木康平
入団時、読みが同じ鈴木昂平がいたため登録名をK-鈴木とするも、オリックスの偉大な”鈴木”には及ばず。三振を表す「K」もK/BBは標準以下。廣岡とのトレードで憧れの巨人に移籍し、国際武道大時代には客員教授を務めた原監督の下で33試合に登板。千葉明徳高から初のプロ野球選手。

 

・石田隼都

真岡市初のプロ野球選手。東海大相模高では3年の選抜で全5試合に登板し大会69年ぶりとなる無失点での優勝投手となった。初夏連覇を目指した夏はまさかのコロナで出場辞退。プロ入り後は体力づくりに勤しむも、春先にトミージョン手術を受けて、育成契約で再出発。

 

・代木大和
打撃でも話題になった明徳義塾のエースは、巨人に入団すると2年目には球団22年ぶりとなる10代での開幕一軍を勝ち取が、rい、打撃でも初打席初球を打って初安打を記録した。今年春先にトミージョン手術を受け育成契約から再出発。苗字の「しろき」は全国わずか50世帯

 

・菊田拡和

高校通算58本塁打を記録した常総のバレンティン。3年目に初の一軍昇格を果たすも新型コロナに感染し降格。翌年には一軍初打席を記録するも安打を打てず、今年は腰のヘルニアで復帰が8月までズレ込み、一軍での安打の無いまま戦力外。このままでは終われない。

 

 

 

【阪神タイガース】

 

・秋山拓巳
24年ぶりの阪神高卒新人の勝利投手を始めセリーグ21年ぶり高卒完封、22年ぶり無四球完投など華々しいデビューを飾る。実働14年で通算49勝ながら2桁勝利を3度記録、投手で通算2本塁打と伊予ゴジラと呼ばれた打棒も見せつけた。平成最後の勝利投手。

 

・加治屋蓮
松井裕樹、杉浦稔大の外れ外れ1位で入団も、最初の3年は通算4試合登板。4年目に初勝利を挙げて頭角を現すと球団歴代最多・リーグ最多72試合に登板。阪神移籍後は開幕から22試合連続無失点の球団記録を樹立した。被本塁打は18本だが、松井稼頭央の通算200号、井口資仁の通算250本を配給。新型コロナの流行を受け、出身のJR九州へ「JRは絶対休めないから」と消毒液を贈ったファインプレイ。

 

岩田将貴

中学時代にNOMOジャパンに選出されると、野茂にフォームを見てもらいサイドスローでのトルネード投法を作り上げた。育成入団から2年目に支配下を勝ち取り、実働4年のうち3年で防御率2点台を記録するも一軍登板のないまま戦力外。

 

・片山雄哉
安城市初にして刈谷工業高校初のプロ野球選手。そして志學館大短大はもとより、合同で練習する志學館大も含めて初の男子のプロ野球選手。BCリーグ福井で元阪神の藤井彰人コーチと出会うと急成長。育成でプロ入りを掴むと支配下登録を勝ち取った。短大出身の男子のプロ野球選手は日本人では初という超レア選手。

 

・遠藤成
旧仁賀保町(現にかほ市)から初のプロ野球選手。東海大相模高では145キロの投手兼遊撃手の二刀流で甲子園に出場し、プロでは野手一本。フレッシュオールスターでは先頭打者本塁打を放ち、今季は二軍で最高出塁率、盗塁のリーグ2位を記録するもまさかの戦力外。

 

・高濱祐仁

19年にはロッテに所属した7歳上の兄・卓也と同年に戦力外・育成再契約となるも、翌年には日ハムで初めての育成から支配下昇格を勝ち取り、横浜高以来となる浅間とのAT砲も記録した。トレードで兄も所属した阪神に移籍するも、兄と同じく阪神では一軍出場のないまま戦力外。

 

 

【横浜DeNAベイスターズ】

 

・三浦銀二
大学で62年ぶりのノーヒットワンランを記録。三浦大輔監督就任1年目の横浜DeNAに指名された新たなハマの三浦。将来、三浦監督のようなリーゼントを目指すと言っていたが、通算9イニング14失点。まずは活躍する姿を見せたかった。

 

・髙田琢登
静岡商では監督である父親と共にプロを目指し、同校44年ぶりとなるプロ野球選手となった。背番号56を4年間背負ったのは投手では大家に次いで2番目の長さ。制球が安定せずに、一軍登板のないまま4年目で戦力外に。

 

・大和

鹿屋市初のプロ野球選手にして、阪神からFAで横浜に移籍する際、前球団と同じ本名以外での登録名称で移籍した初の選手。年々症状が進むという腎臓の希少疾患「デント病」と戦いながら同じ病気の人をプレイで励ました。横浜を優勝させるために移籍してきた以上、戦力外にされては困る。

 

・西浦直亨

史上初となる開幕戦初打席初球本塁打と華々しいデビューを飾るも通算38本塁打。毎年レギュラー争いを繰り返し定位置獲得とはならなかった。独特の音程を持ち、そのステージは「ジャイアンリサイタル」と呼ばれるほど。

 

・楠本泰史
幼少期は松井裕樹と同じチームで活躍しベイスターズジュニアにも所属。シニアでは日本一にも輝いた。ドラ1の松井に対しドラフト最下位での入団も、松井との対戦が果たせていないままメジャーで活躍してる今、このままでは終われない。初本塁打は史上2人目となる代打逆転満塁本塁打。

 

・大田泰示
松井秀喜の後の背番号55を託された未完の大器は、トレード移籍した日本ハムで開花し1億円プレイヤーに成長。好きな選手だったのでノーテンダーで放出された際に横浜に来てくれた時は嬉しかった。巨人軍第81代目にして平成生まれ初の四番の行方に注目が集まる。

 

 

【広島東洋カープ】

 

・野村祐輔

佐賀北高が公立校ながら甲子園制覇をした「佐賀北旋風」を前に決勝敗れた広陵のエース。大学を経てプロ入りすると堀内恒夫以来46年ぶりの新人で防御率1点台を記録し平成生まれ初の新人王に。初登板から先発での連続登板はNPB記録。前田や黒田を上回る球団最速の110試合で50勝を挙げエースに君臨するも、故障に泣いて通算80勝。

 

戸根千明
江の川から校名変更した石見智翠館の初代エース。日大を経て巨人では2年連続40試合登板を果たすと、高校通算39本塁打を記録した豪快な打撃を買われ二刀流にも挑戦。広島戦で初安打、初打点を記録すると、翌年の現役ドラフト1期生として広島へ移籍した。妻は元アイドルでアナウンサーの佐々木舞夕。

 

・岡田明丈
関西六大学ではアルバイト代で野球を続け、15勝3敗という好成績でドラフト1位を勝ち取り、2年目には12勝を挙げたエース候補。19年のイップス発症以来、一軍マウンドから遠ざかり昨シーズンで育成契約へ。オープン戦で4年ぶり一軍マウンドに立つと夏に支配下復帰を勝ち取るも、一軍登板のないまま2年連続戦力外。プロ入りから2年連続ボーク王も記録。

 

・曽根海成
ソフトバンクに育成で入団。支配下を勝ち取ると、育成出身で初のフレッシュオールスターMVPを獲得。美間とのトレードで広島へ移籍すると守備固めと代走でチームを支えた。今季は開幕前に骨折しそのままシーズンを棒に振った。三塁・遊撃は守備率10割。

 

 

 

 

 

【東京ヤクルトスワローズ】

 

・嘉弥真新也
八重山農林高および創部初年度に入団したビッグ開発ベースボールクラブ初のプロ野球選手。絶滅危惧球種の宜野座カーブの使い手で、サイドスローに転向すると嘉弥真ボールを決め球とし、セットアッパーとして君臨。プレミア12日本代表にも選ばれたが、ソフトバンクに続きヤクルトでも2年連続の戦力外に。

 

・尾仲祐哉
高陵高等学校出身初のプロ野球選手。NPB初の三者連続本塁打でのサヨナラ勝利という劇的な試合で初勝利を納めるも、大和の人的補償で1年目にまさかの移籍。阪神ではDeNA時代を上回る登板を投げ、ヤクルトでは初先発を経験するも勝利はその1勝で終わってしまった

 

・三ッ俣大樹
高校時代は投手と打者で名を馳せ「プチ松坂」と評されるもプロでは内野手としてオリックスに入団。岩崎恭平とのトレードで中日に移り、初本塁打は岩崎優という屈指の岩崎キラー。オリックスに4年、中日に8年、ヤクルトに2年在籍。

 

 

・青木宣親
中学・高校がうちの親父と一緒のメジャーリーガー。妻は元テレビ東京の大竹佐知アナ。メジャーから帰国後もスタメンを張り続け、プロ18年目でついに初優勝した場面では誰より早くベンチを飛び出した。NPBでシーズン200安打を2度達成はイチローも為し得なかった青木だけの勲章。

 

・山崎晃大朗
日大の先輩・真中監督のヤクルトから指名を受けると、現役時代の背番号31を受け継ぎ二軍で盗塁王を獲得。高津監督になると出場試合数を伸ばし、日本一になった際には何故か高津監督と一緒に胴上げされたムードメーカーのコータローもついに引退。

 

 

【中日ドラゴンズ】

 

・田島慎二
イチロー杯争奪学童軟式野球大会のMVPにして、東海学園大学初のプロ野球選手。岩瀬、浅尾の抜けた中日救援陣を支えクローザーも務めたタジ魔人も故障には勝てなかった。開幕31試合登板連続無失点のNPB記録と、1イニング3連続与死球のNPBタイ記録を持つ。

 

・砂田毅樹

DeNAに育成で入団し支配下を勝ち取ると、育成出身初となる10代での一軍勝利を記録。DeNAの育成投手では最多登板数を誇った。京田とのトレードで中日に移籍するも中日では出番に恵まれず引退を決意するも、引退試合してもらえないならもう一年、横浜に戻ってきてくれないかの。

 

・上田洸太朗
中学時代に日本代表に選抜され世界一を経験。西礪波郡福岡町では初の投手でのプロ野球選手となった。20年ドラフト指名選手の中で、ドラフト1位の高橋に続いて2番目に先発登板を果たすと、球団の育成投手では初めて先発での勝利を記録した。しかしその3週間後、規律違反で謹慎処分。何があった?

 

 

・中島宏之
西武時代は2年連続3割20本20盗塁を記録するなど活躍も海外FA権を行使してMLBへ移籍するもメジャー出場ならず2年で帰国しオリックスで4年、巨人で5年、中日に1年在籍するも、20世紀にドラフト指名された最後の選手も2000本安打まであと72本を残して戦力外。近鉄を含めた13球団と対戦した最後の選手でもある。奥様はモデルの相沢紗世さん

 

・加藤翔平
新人野手としてNPB史上初となる初打席初球初本塁打を含む猛打賞で華々しくデビューすると、プレーオフでも初打席初本塁打を記録した幕張の翔平は、同姓の加藤匠馬とのトレードで中日へ移籍すると、史上初の2球団での初打席初球本塁打。本数の割には印象深い一発が多かった。