前にも一度書いたけど、
7月までは3番ばかり聞いていたが、
8月の初旬?からひと月あまり、
こればかり聞いている。

クラウディオ・アバド指揮、
ルツェルン祝祭交響楽団による
マーラー 交響曲 第6番





話は変わって。

先日このDVDを借りてみた。

「この世界の片隅に」









あと最近、
このマンガを読み返した。

「スピリットサークル」(全6巻)




この「スピリットサークル」というマンガ、
中学2年の二人の敵対的なソウルメイトが、
お互いに7つの過去生を再体験しながら、
カルマを解消していく話。

それほど有名ではないようだが、
手塚治虫の「火の鳥」のパーソナル版みたい感じ。
コミック6巻と、ほどよく纏まったボリュームだけど、
僕から言わせるとなかなか読ませてくれる傑作。

#ちなみに、つくづく漫画家というのは、天才だと思う。
#表現力豊かな絵を描きながら、
#ストーリーも絶妙で。
#僕には逆立ちしても作れないな..。



3点、並べてみたけど、
共通するキーワードは「悲しみ」。


マーラーの6番の副題は「悲劇的」。

「この世界の片隅に」で主人公は、
家族や自分の右腕など
多くの大切なものを失った。

「スピリットサークル」のストーリーも、
転生の中でお互いを傷つけあう二人の底辺に、
憎しみ合うことへの悲しみが流れている。



キーワードは「悲しみ」

..なのだけれど、

何かちょっと変なのだ。



「悲しみ」と一言で表現しているけど
「悲しみって、一体何だっけ?」、
みたいな。



確かに、
悲しみの感情と表現できる感覚は分かるし、
感情が揺さぶられ、
コントロールできない涙、嗚咽が起こるのも分かる。

でもそれは、
「悲しい」という言葉で表現するのが
適切なものなのだろうか?


反論として、
「それを「悲しい」と表現せずに、
 なにを「悲しい」と表現するんでしたっけ?」
と言われると、それはそうなんだけど..。


でも、昔自分が思っていたような
「悲しみ」の感覚とは違って、
なんだか希薄?に感じられるのだ。


「この世界の片隅に」を見た時も、
涙は流れるものの、
主人公のキャラとか、全体の雰囲気・世界観もあってか、
あまり「悲しい」という感じがせず。

むしろ主人公が
愛され祝福された人のように見えて、
涙が流れる始末..。



あと、「スピリットサークル」のラストに近いあたりで、
こういうシーンが描かれていて。



「悲しいことなんて、本当は無いんだ」



癒されない傷から目を背けるために暴走し、
地球を破滅に追い込もうとした過去生の自分に対して、
今世の主人公が語りかけた言葉。

#ちなみに、「泣くなおれ」と言っているのが
#今世の自分で、他の7人が過去生の自分。


「悲しいことなんて、本当は無いんだ」

中学2年に語れる言葉とは思えないが、
いくつもの人生を生きると、
そういう感覚になるものなのだろうか?

本当に失われるものなど、何も無いから?




「悲しいことなんか、何も起きてない」


素朴な疑問。

それは本当なのだろうか?


急いで答えなくてもいい、と思っている。


それが本当なのかどうかは、
誰に言われなくとも、
いずれ確信することだろう。

本当の僕は、確かにそれを知っているから。