202203-105:いつもと違うことはしないほうがいい | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。


来週は春彼岸。数年前のお彼岸の墓参りでのことです。
郊外の霊園へ車でいきました。高台なので、坂道がありバス停までは上り坂で距離があります。復路の坂道を徒歩で帰る老夫婦を追い越しました。ふと、同じ霊園からの帰りのよしみで、近くのバス停まで乗せてあげようかとふと思い、すぐ考え直しました。

疫病感染拡大前のことでしたが、なんとなく感染リスクを恐れました。
この見知らぬ老夫婦をクルマに乗せることで、短時間ですが狭い密室での空気感染を嫌いました。パンデミックになる数年前のことです。あの老夫婦が、何か人に悪さをする細菌を保有しているかもしれないと思い、接触を避けました。平常時は、防犯対策として街中で見知らぬ人をクルマに乗せることは決してありません。今回は普段はまったく気にもしていない感染リスクがとっさに浮かんでリスク回避しました。

昔、叔母の通夜の宴席で、あまり覚えていませんが子供の頃よく一緒に遊んだという従兄弟が教えてくれました。酒席で気持ちが大きくなったか気分が高揚したかで何かをしようとしたとき、「いつもと違うことはしないほうがいい。」と断定的にいわれました。そのときは理由も経緯も話題にならず、「そういうものか、そうか、なるほど、そうしよう。」ということで別の話になりました。
それ以来この従兄弟の一言が、いつもと違うことをしようとしたときに、歯止めをかけてくれます。

一方、アノマリーには乗ります。合理的には説明できない市場の動き。こういう局面ではこういう展開となるという経験則については、歯止めはかけずに従います。