パリをうならせた「ウナス」の公演 「民族的なものこそ最も人類的なもの」 | 朝鮮問題深掘りすると?

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初老の徳さんが考える朝鮮半島関係報道の歪み、評論家、報道人の勉強不足を叱咤し、ステレオタイプを斬る。

前号の続きです。なぜ日本ではまったく関心を向けられなかった朝鮮の芸術がフランスでは大喝采を受けたのでしょうか。


フランスは元々自民族の芸術文化を大切にしてきました。フランス人は自民族の文化・芸術をこよなく愛し,大切にし、それを誇って来ました。自民族の文化・芸術を愛するからこそ他民族の芸術に真摯に対し、大切に扱うという文化の歴史を育んできたわけです。もちろんその根底に優れた世界的な芸術家を生んだという自負心があるのでしょう。例え自民族ではないとしてもフランスは多くの芸術家を育み育てました。そうした歴史が他民族の芸術に敬意を表しそれを敬意を持って受け入れる姿勢を育んできました。


しかし満足な文化的芸術的伝統を持たないアメリカは乱暴で破壊的で傲慢な文化を創り上げ,それを力と金の力で世界に拡散させました。そのため世界の各民族文化の伝統は破壊され、乱暴にジャズ化、ロック化され民族文化の伝統は正しく発展したのではなく無残に破壊されてきました。日本も例に漏れません


。敗戦後日本の文化芸術の伝統はアメリカのいわゆるスリーS政策(SEX,SPORT,SCREEN)によってづたづたにされ、民族的な要素はほとんどアメリカナイズされ隅に追いやられ、民族芸術を育み、守る場も失っていき、民族的なものはごく少数の人々の特権となってきました。そのために自民族のアイデンティティーの泉に浸ることの出来ない若者は日本の民族的芸術を蔑み、古くさいと投げ捨ててきました。もちろん民族芸術も時代の発展に沿って発展していかねばなりません。しかし民族芸術の真のすばらしさを理解できないことからジャズやロックなどの破壊的な形式を取り入れればいいというような安易な解釈から、民族的リズムをエイトビートにすれば事足りると言ったような,返って民族音楽をだめにする間違った方向に進んで行ってしまったのではないでしょうか。



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自民族の音楽芸術を愛せない者が他民族の音楽芸術に敬意を持って接することが出来ないのは当然の理です。
結局フランスは自民族の音楽芸術を真に理解し,愛するが故に他民族の音楽芸術も愛することが出来、畏敬の念を持って接することが出来たのでしょう。


「ウナス」と合同演奏をしたラジオ・フィルハーモニー・オーケストラのメンバーの次の言葉はとても示唆的です。「率直に言って私は朝鮮の管弦楽団がこの劇場で公演するという事を聴いて,これまでのように世界的によく知られた古典作品か現代音楽を演奏するだろうと思っていたし、そのレベルについて私なりの予測を立てたりもした。ところがウナスの音楽は私の予測を完全に裏切った。管弦楽で自分の民族の音楽をこれほどすばらしく表したその独特な想像力に感動を禁じ得なかった。これまで管弦楽は西欧の独占物になっていたし西洋音楽だけが管弦楽の対象になれると思ってきた。私は今日初めてこれこそが堂々と選ばれるべきアジアの管弦楽、朝鮮の管弦楽だと思った。」



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もう一つ紹介します。フランスの前文化相であり、下院議員のジャック・ランは次のように語っています。「朝鮮の民族精神がパリの人々に深く刻まれた。自主精神を大切に思うフランス人と朝鮮人の見解が一致する。朝鮮人民が芸術の分野でも自主精神を確固と堅持し、民族性を固守している音が今回の公演を見てもよく分かる。香水は多様でなければならず、花も多様でなければならないように音楽も多彩でなければならない。人類の文化は多彩な民族が創造する文化の総合体である。ある一つの民族が人類の文化を 代表することは出来ないもの だ。ウナス管弦楽団が朝鮮民族の文化の優秀性を音楽芸術でもって最もすばらしく表現したことはそれ自体が、人類の文化をより美しいものにしたと考える。最も民族的なものが最も人類的なものなのである」


一言で言えばフランスは相対的にチュチェ(自主性)を堅持しているので他民族の音楽芸術を真摯に受け入れ感動することが出来るのに反し,日本はチュチェ(自主性)が無いので他民族の音楽芸術を理解することが出来ず、真摯に対面することも感動することも出来ないのではないばかりか、自民族の音楽芸術までも軽視し軽蔑するようになったのではないのでしょうか。それは自民族に固有なものを誇る事の出来ない悲しい民族の卑屈さの逆立ちした表れではないのでしょうか。そうした事が「マンスデ芸術団」の来日にまったく無関心であった日本と、喝采を持って迎えたフランスの違いなのではないでしょうか。


日本にもすばらしい音楽芸術があるのにも係わらず、それが現代にマッチした形で民族性豊かなすばらしい芸術に発展していかないことをとても悲しく思います。