強制連行・強制労働問題 問われる企業の良心 | 朝鮮問題深掘りすると?

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初老の徳さんが考える朝鮮半島関係報道の歪み、評論家、報道人の勉強不足を叱咤し、ステレオタイプを斬る。


戦時中に強制労働を強いられた中国人元労働者らが西松建設(東京)を訴えたが、07年の最高裁判決で原告敗訴が確定した訴訟をめぐり、元労働者側と同社は23日、東京簡裁で「即決和解」した。和解条項には同社が2億5千万円を信託して基金を設立し、金銭補償する条件が盛り込まれました


和解条項には、当時の政府の閣議決定に基づく強制連行で元労働者らが受難した事実を西松側が認め、元労働者側に謝罪する文言が盛り込まれました。 画期的といっても言いでしょう。


「即決和解」は、新たな訴えを起こさずに話し合いで争いを解決する裁判手続きで、戦後補償裁判で勝訴が確定した企業側が、訴訟外で自ら補償に応じるのは極めて異例だと言われます。


基金による補償は広島県内の水力発電所の建設現場で働かされていたとされる360人全員が対象。裁判で損害賠償を求めた原告は中国人元労働者ら5人でしたが、補償対象は拡大されました。西松建設は、最高裁判決で原告敗訴が確定した新潟県での強制連行をめぐる訴訟でも同様に中国人元労働者183人と年内に和解する方針のようです。


基金は自由人権協会(東京)が管理し、補償金額は元労働者らに分配するほか、調査などの費用に使われることになります。


注目されるのは最高裁判決が、原告の請求を退けながらも「関係者が被害の救済に向けた努力をすることが期待される」と異例の付言をし、今回の和解を背中から押したということです。もっとも西松建設関係者によると、元社長が起訴された違法献金事件などに絡み執行部が交代したことをきっかけに、企業の社会的責任を重視する機運が高まったという理由もあったようですが、このさいそれはどうでも良いことです。


訴訟の当事者である中国人元労働者は、「歴史を直視せず、歴史責任を負う勇気のない多くの日本企業や日本政府と異なり、自主的に和解を申し出た西松建設の勇気を評価したい」と中国語で語っています。


強制連行をめぐっては、花岡鉱山(秋田県)で働かされた中国人らが鹿島組(現・鹿島)に賠償を求めた民事訴訟の中で、鹿島(東京)側が5億円を信託して基金を設立することで和解が成立(2000年)した事例などがありますが、西松建設の勝訴が確定した最高裁判決の後は、中国人が戦後補償を求めた訴訟は原告敗訴が続いています。


最高裁のスタンスは、戦後補償問題は戦後賠償の放棄をうたった日中共同声明(72年)によって決着済みとしており、原告側の請求ははじめから棄却される運命にあたと言えますた。


今回の和解は企業側の良心と、社会的責任、企業倫理に負うところが大きいのですが、日本政府の姿勢や最高裁のスタンス、ドイツの先例などを鑑みると、まさにそれが今求められていると言えるのではないでしょうか。特に和解文書に補償と共に「謝罪する」との文言が含まれたのは重要です。補償には賠償の意味が含まれているということでしょう。


ところで戦時中に強制連行された中国人元労働者は約4万人といわれていますが、その10倍以上の朝鮮人が日本本土へ強制連行され、強制労働を強要されています。日本本土以外での強制連行・強制労働被害者を含めるととてつもない人数になります。北朝鮮ではその数は800万人に達するという研究発表も出ています。


そして彼らへの未払い賃金は、明らかになった一部だけでも現在の価値で3000~4000億円にのぼります。前首相の麻生氏の企業(当時の麻生炭鉱)は当時の金額で賃金7415円(100名)、補助金2370円(133名)、援護金475円(2名)など1万円を越える賃金を払わずに供託しており、121名分の貯金3359円は供託さえもしていません。つまり着服しているのです。

http://ameblo.jp/khbong/entry-10330115076.html


朝鮮人強制連行・強制労働関連訴訟の状況は中国人強制連行者関連訴訟よりも無残なものになっています。中国人に対しては72年の日中共同声明が口実となっていますが、朝鮮人の場合は65年の日韓協定が口実となっています。もちろん北朝鮮との間には何の取り決めもありませんが、北朝鮮出身者に対してもこの日韓協定が適用される始末です。朝鮮人強制連行・強制労働被害者らはいつになったらその「恨」を解消することが出来るのでしょうか。


鳩山総理は22日、胡錦濤中国主席との会談で「(民主党政権には)歴史を直視する勇気がある」と高らかに発言しました。それは過去の歴史に対して「責任を回避したり弁解はしない」と言うことでないのでしょうか。


そして「過去の歴史を直視する」と言う言葉が単なる修辭ではなく具体的な意味を持つものであるならば、当然それを実行するための中身があり、アクションが続くべきでしょう。そのアクションの中には当然に強制連行・強制労働被害者らへの謝罪と補償、「従軍慰安婦」への謝罪と補償が含まれるであろうし、資源掠奪や文化財掠奪に対する謝罪と補償なども含まれなければならないでしょう。

西松建設との和解について中国人労働者が「歴史を直視せず、歴史責任を負う勇気のない多くの日本企業や日本政府と異なり、自主的に和解を申し出た西松建設の勇気を評価したい」といった言葉の意味がここにあります。


また「過去の歴史を直視する」と言う言葉には過去によってもたらされた今日の「現実」も正確に直視するという意味が当然に含まれているはずです。はたして今の日本が過去に犯した「原罪」から自由なのでしょうか。その点で今の日本は過去と断絶されてはいないようです。

過去の歴史の中で積み重ねられてきた朝鮮人や中国人に対する差別意識、蔑視、いわれのない優越意識は今もなお根強く残っているようです。いわゆる「在特会」などの極右派の排他主義や「嫌韓派」「嫌中派」と言う言葉、北朝鮮バッシングの風潮はその表れと言えるでしょう。それはいわばドイツで反ユダヤ主義、アーリア民族優越主義が再生しているのと同じ意味を持つものです。


最高裁では日中平和条約や日韓協定がネックとなって、「過去の歴史を直視する」判決を下すことが難しくても、政府が政治的決断を持って、これを実現することはできるはずです。ドイツがそのようにしました。

1970年12月7日、当時の西ドイツ首相ウィリー・ブラント氏は突然ポーランドにあるワルシャワゲットー蜂起記念碑の前に現れ雨の降る中、記念碑の前に跪き心から謝罪しました。


沈黙で一貫した謝罪でしたが、ブラント氏の行動と、その後の賠償(政府及び企業による)や、ベルリン市内の真ん中に、四方2キロにいたるユダヤ人虐殺慰霊メモリアルを設置したり、ゲシュタポやSS(ナチ親衛隊)の本部あとに「トポグラフィー・デス・テロス」という屋外展示場を設け、今日の人々の前に過去の非人間的罪状を自ら暴きだすなど、過去の克服と未来への警告のために注いだエネルギーは、ヨーロッパや世界の人々を感激させ、ドイツの謝罪が真摯であることを実証し、ヨーロッパはドイツが再びヨーロッパに戻ることを認めました。

そのことによってドイツはヨーロッパの国であり、ドイツ人はヨーロッパ人であることが認められたのです。つまりドイツは過去をヨーロッパや世界が認めるに足る水準で反省し、謝罪し、補償することによってヨーロッパの「架橋」となりえたのです。


はたして鳩山民主党政権に「歴史を直視する勇気」は本当にあるのでしょうか?日本は「アジアの架橋」になれるのでしょうか?